壱.化猫の話

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    それ、そろそろ飛び付いてくるぞ…。と、思ったら犬は俺を見た途端威嚇体制に入って甲高い声で何度も何度も壊れた玩具の様に吠えてきた。 「どうしたの?誰か来たの?」 母親が訝しげな顔で居間から出てきた。 「なによ。誰も居ないじゃない。…あ、もしかして虫かしら?いやだぁ。」 「………母さん…。」 「もぅ、どうしたの。ほらほら、落ち着いて。しぃーよ。しぃー。」 「………母さんッ…!!!!!」 「…きゃッ!本当にどうしたの?何に吠えているの?」 黒い、黒い、どこまでも黒い淀みが心から溢れ出た…。 …………チリーン…。 ……俺はこの家の住人ではなくなったのだ。 暑くは無い。暑くは無いが、冷や汗がとめどなく出る。喉の奥がカラカラで…脱水症状で死んでしまうのではと思った。 また涙が勝手に溢れてきた。 さっきのは分からないけれど、今はきっと、悲しいからだ。 母さん、俺は帰ってきたよ。今、俺は目の前に居るよ。 …なのに、それが伝わらない。 「あら。小春ちゃん…どうしたの?珍しいじゃない。下迄降りてくるなんて。」 「弱い犬程よく吠えるとは、人間にしては良い言葉を思い付いたものだね。ああ、うるさくて、うるさくて、かなわん。」 とってん、とってん…と、一定のリズムで階段から降りてくる猫が欠伸をしながら悪態をついた。 「おー、おー、若僧よ。泣くな。泣くな。泣けば泣く程帰れなくなるぞ。」 小春と呼ばれた猫は階段の途中で座り込み、後ろ足で耳を掻く。 「あー、やっぱ、梅雨は髭が駄目になるわ。感度悪くて憂鬱だわー。しかも毛もへにょへにょして、いくら毛繕いしてもし足りない。」 耳を掻いていると思いきや、次は前足で顔を撫でだした。 「とりあえず、濡れたままだと何だし、お上がりよ。」 ………猫又だ。うちの猫は猫又だったんだ。 何が起きたのかまったく理解していない母親とは反対に、俺は小春が気怠げに階段を上っていく姿を阿呆の様にあんぐりと口を広げながら、ただただ、眺める。 と、言うか…眺めるだけしか出来なかった。 「猫又?違うね。ワタシは化猫さ。イヤだねぇ。最近の人間は。猫又と化猫の区別もつかなくなったとはねぇ。ああ。イヤだ。イヤだ。」 うにゃーん。と、鳴きながら小春は階段を上っていった。 弐→→→
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