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桜木高等学校の近くの森の中に、雨のように降る月明かりを一身に浴びている巨大な桜があった。
人を惑わすために妖怪が化けてでもいるかのように美しすぎる桜の大樹。
冬の突き刺す冷たさとは違う暖かな冷たさを孕んだ春風が吹いて、サァー……と桜の花びらを空へとさらう。
小さな花びらは風に運ばれ、アリスマンションまで飛んで行く。風に煽られるがままにアリスマンションの壁を滑るように上り、誘われるようにして花びらはちょうど良く開いていた出窓へと滑り込んだ。
「お?」
窓の真下にベッドがあり、その上で仰向けに寝転び漫画本を読んでいた部屋の住人は、突然の小さな侵入者に目を丸くした。
150㎝ほどの小柄な少女。髪は少年のように短く、頭頂部の髪が触角のように一房だけくるんと飛び出している。愛らしい少年のような風貌の少女は、舞い込んできた桜の花びらに声を立てて笑った。
「お前達、入って来ちゃったのか?」
ケラケラと楽しそうに笑う少女。舞い込んできた全ての花びらを丁寧に拾うと、外へと優しく放った。
途端に風にさらわれていった花びら達。少女の特徴的な飛び跳ねた髪が吹き込んだ風に揺れた。
「かえでぇ~!」
突然聞こえてきた女性の声に、少女は振り向いた。
「お?なんだぁ~!?」
「みずほちゃんから電話よぉ!」
「分かったぁ!」
大きく返事をした少女は、窓を閉めて部屋を出た。
パチリ、と消される部屋の電気。
月光に照らされた出窓には、紙粘土で作られた不格好な微笑みを浮かべる三日月と太陽。ほんの少し埃を被り、色はくすんでいるが、綺麗な赤の太陽と銀の月だ。そのそばには長方形の黄ばんだ紙。
[5年2組14番 三枝 楓]
不格好な文字で綴られたクラスと名前。
[本当は、かぜとか木もつくりたかった。]
作品のタイトルを書くべき場所には、なぜか感想が書かれている。
ほんの少し強い春風が吹いた。
きちんと閉められていなかった窓の隙間から風は入り込み、長方形の黄ばんだ紙を飛ばした。ふわふわとベッドの上に落ちた紙の上に、新たに入り込んだ桜の花びらが名前の隣に落ちた。
[三枝 楓]
それがあの少女の名前である。
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