第一幕 深淵なる時の声

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  「あ、美和が出てきたわよ」  ぼんやりとしていた楓も、パッと後ろを振り向いた。  中央エレベーターにもっとも近い部屋から出て来たのは、ふくよかな体型の少女。好き勝手に跳ねまわる黒髪の前髪を星のピンで留めている。  楓と水帆の姿に気付いた美和が笑顔を浮かべた。 「おはよう!」 「おはよう!美和!」 「曲がってるわよ」  2人と同じく美和の制服も真新しい。水帆に言われ照れくさげに曲がったネクタイを整えると、美和も2人を真似るように廊下の手すりに身を預けた。 「やっと入学式だね~」 「慎次(しんじ)に会えるわね~?」  ニヤニヤと笑う水帆。  美和の丸い頬が朱に染まった。 「うっさいなぁ!みんなだって久しぶりに慎兄(しんにい)に会えるのは嬉しいでしょ!?」 「美和ほどじゃないわよ~!」 「慎兄って言えばさ」  3人とはまた別の少女の声が会話に加わり、美和が「キャッ」と飛び跳ねた。 「ちょっと!愛美!脅かさないでよ!」  邪気のない朗らかな微笑を湛える少女は、「何が?」と首を傾げた。サラリと横に流れるおっとりとした顔の少女の栗色の髪。 「……で?慎兄がどうしたのよ?」  呆れからくる苦笑を浮かべて愛美に問う水帆。 「今日から慎兄とは呼べないね」  主語も何もない言葉に、首を傾げる水帆と美和の隣で楓だけが「そうだな」と肯いた。 「今日から慎兄じゃなくて慎次“先生”になるんだよな」 「あ、…あぁ!そう言う意味ね!」 「もう!いきなりなんのことかと思ったよ!」 「うふふ。慎次先生なんて、こそばゆいね?」 「こそばゆい?」 「痒いってことよ。楓」 「なんで慎次先生が痒いんだ?」 「照れくさいってことよ。楓」 「そうか!」と楓は笑顔で納得し、水帆と楓のやり取りを見ていた美和が「最初っから照れくさいって説明すればいいじゃん」と溜め息を吐いた。 「でも、不思議よね~」 「何が?」 「ここの大家さんをお兄ちゃんとして慕ってたのに、今度は先生として慕うようになるのよ?」 「呼称が変わっただけで、慕うのには変わりないんだから、どこも不思議じゃないと思うけど…」 「コショウってなんだ?」 「体操するときの、1、2、3のかけ声のことよ、楓。…それか、調味料ね」 「どっちも違うよ!」  4人で他愛もない会話を続けていた時、楓がチラリと気にして、水帆にからかわれた玄関がガチャリと開いた。
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