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「誠一郎さん……お別れよ」
ベッドの上で郁子が言った。
「えっ! なんだって?」
誠一郎は聞き違えたかと思い、訊き返した。
「元気でね。縁があったら、また会いましょうね」
「そ、そんな急に……どうしてそんな? 僕等は、やっと本当の愛に巡り会えたんじゃないか」
誠一郎は食い下がった。
「もう無理なの」
「無理って……なぜなんだ? 理由を言ってくれっ!」
「わかってるでしょ?」
「えっ?」
「これは運命なの。あなたの励ましは嬉しいけど、運命には逆らえないの。それは無駄な努力なのよ。ありがとう。さよなら」
「いや、君は簡単に、そんなことを言うけど……人生は、そんなものじゃない。人の愛と言うものは」
だが、郁子は背中を向けたまま誠一郎の言葉には耳を貸さず、無視し続けた。
そうして、郁子は息を引き取った。
ホスピスで惹かれ合い、交際を始めて一週間後の出来事だった。
郁子88歳。誠一郎91歳の夏であった。
―了―
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