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駅の改札口を抜けた時のことだった。
前を行く女性が硬貨を落とした。
駅構内の喧騒で音が聞こえなかったらしい。定期券をコートのポケットから取り出した時に一緒に飛び出たのだろう。
僕は硬貨を拾い上げた。五百円玉だ。
落とし主は階段を降りて行く。僕は、見失わないように早足で彼女を追った。
だが、雑踏に阻まれて、なかなか彼女に追いつけない。
薄手の白いコート。濃いめのブラウンの髪。あの女性だ。
待てよ。彼女は、これを落としたことに気づいていない……ということは、届けなくても良い事にならないか?
電車が入って来た。早くせねば。
ホームに並んだ女性に追いついて声をかけた。
「あの……」
彼女は気づかない。
「あのっ! すみませんっ! これを落としましたよっ」
「あらっ! ありがとう」
振り向いた女性は美人だが、はるかに年上だった。
僕は反対側のホームに並んで汗を拭った。
「いいとこ、あるじゃない」
「えっ?」
「あたし、同じ大学の榊原葉子。あなたが、あれを、どうするか後を尾けてたの。あなたを気に入ったわ。朝ごはんを一緒に食べない?」
―了―
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