序章

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 ──曇天の夜空。べったりと張り付いた鈍色(にびいろ)の雲に星々は身を潜め、月は(おぼろ)げな光で夜を(いろど)り、山を、森を、大地を照らす。  そんな夜の静寂を破る── 一筋の閃光。そして数瞬遅れて鳴り響く爆音。  その爆音(おと)に夜の闇がざわめく。あるモノは金切り音のように甲高く、またあるモノは地鳴りのように低く。人間(ヒト)のモノではない、まるで獣のような無数の()き声が、夜の静寂に激しく叩き付けられた。 「──クソっ! 数が多すぎるッ!!」  ──人間(ヒト)の声が、闇に飲まれた森に木霊(こだま)した。男性であろうその声色には、焦りと苛立ちが見え隠れしている。  足元まである銀灰色(ぎんかいしょく)のローブに身を包んだその男は、険しい表情で闇に包まれた前方を睨んだ──その視線の先には、ざわざわと揺らめく無数の影。  闇の中でも分かる程の── “大群(むれ)”。  大群(むれ)とはいったものの、ソレを形成する影の形に統一性はない。あるモノは四足歩行で、あるモノは二足歩行。蛇のように地を這うモノや、翼を使い空を飛ぶモノ。  様々なカタチの怪物(バケモノ)── “魔物(まもの)”が、耳をつんざく咆哮を上げながら木々を薙ぎ倒し、土煙を上げ、空を裂き、大地を揺らし、男へと迫るように真っ直ぐ猛進する。  ローブの男は舌打ちをひとつ、目を閉じフウッと一息をつく──その瞬間、陽炎のような赤く淡い光が男を包み込む。  そして勢い良く目を見開くと、右腕を力任せに横に薙いだ。 「ぶっ飛べ、魔物ども──ッ!  ── “エクスプロージョン”ッ!!」  再び(はし)る閃光。それを追従する、大地を揺るがす爆音。  男が放った炎の“魔法(まほう)”── “エクスプロージョン”によって、魔物の大群の直下より大爆炎が巻き起こった。  嵐の如く吹き荒れた業火は闇夜の森を激しく照らし──前方一帯を一瞬にして焦土に変えた。  地を這っていた魔物の(ことごと)くを爆発で吹き飛ばし、余波の爆炎が空の魔物を焼き焦がす。  一撃で眼前に迫っていた大群の大部分を焼き尽くした男は、むせ返るように激しく息を吐くと、険しい表情のまま後方に目を向けた──その額には、脂汗が浮かんでいる。 「オイッ! 通信!! こっちに流れてくる魔物の数が多すぎる! 西側の“魔法士(まほうし)”部隊はなにをやっているんだ!?」 「はっ、はい! ……先ほどから、ずっと西の通信魔法士に“念話(ねんわ)”を飛ばしているのですが……」 「……繋がらない、か」  同じ銀灰色のローブを羽織った“通信”と呼ばれた男の言葉に、魔法を放った男は先程までの強い口調から一転、声のトーンを落とす。  通信は唇を噛み、男の言葉に無言で頷いた。  2人が会話をしている内にも、周囲では魔物の咆哮と魔法による轟音が忙しなく響き渡る──大竜巻が、落雷が、巨大な波が、猛吹雪が、大地を突き破る岩石の刃が。矢継ぎ早に放たれる様々な“属性(ぞくせい)”の魔法が、その猛進を止めるべく大群に襲い掛かる。  しかし──魔物は止まらない。  無限と見紛う数の暴力を振りかざし、男たちを──人間を圧倒する。  男は歯を食い縛り前方に向き直るや、もう一度右手を振りかざし“エクスプロージョン”を撃ち放った。  ──大爆炎が巻き起こる。  確かに魔法は発動している。魔物を焼き払った手応えもある。だが、魔物の大群が止まる様子はまるで見受けられない。  男は肩で息をしながら、ゆっくりと通信の方へと向き直る。  何事かと首を傾げる通信に向かって、男は一度唾を飲み込むと意を決したように口を開いた。 「各魔法士部隊と、隊員たちへ通達しろ……。  ──現時刻をもって、この防衛拠点を破棄。速やかに撤退する……と」 「……え。て、撤退……?」 「ああ──撤退だ。至急、皇都(おうと)への“転移(てんい)魔方陣(まほうじん)”を用意しろ」 「しっ! しかし隊長! それでは、後方の街は……ッ!!」  隊長と呼ばれたその男の言葉に、通信は狼狽(うろたえ)る。  ──男たちが魔物を食い止めているこの森林地帯を抜けると、そこには決して小さくない街がある。人々の育みが、財産がある。  隊長は、通信のその言葉に表情を歪め、手のひらに爪が食い込む程に強く拳を握り締める──だが、その決心は変わらない。 「……街の住人は、とっくに皇都の避難所に向かった後だ。だから、例えここを破棄しても物的被害だけで済む」 「し、しかし……!」  街を見放す決心がつかないのか、なおも食い下がる通信。  隊長は、目を伏せ奥歯を噛み締めた──ギリッ、と。歯が軋む音がする。 「──そんなこと……分かっているッ!!」  次の瞬間、隊長は勢い良く顔を上げると苛立ちと怒りを隠すこと無く怒声を上げ──同時に力任せに右腕を振るった。  隊長の後方──迫っていた魔物の大群の足元に、轟音と共に特大の爆炎が巻き起こる。  炎に照らされた隊長の鬼の形相を前に「ひっ……!」と腰を抜かす通信。そんな通信を見据え、隊長は肩で荒く息をしながら口を開いた。 「……戦争でッ! なにもかも守るなんてことができると思っているのかッ!!  皇都(あそこ)は最終防衛拠点だ。魔法薬(くすり)も食料もある……一度撤退し、皇都を守護する魔法士部隊と合流し体制を立て直す!  このまま俺たちが消耗し……全滅してしまえば! 後方の防衛拠点になんの障害もなく魔物どもが雪崩れ込むことになるんだぞ!?  ……分かったか。もう一度言う、撤退だ。さっさと各部隊に通達を──」 『──その必要はないよ』  ──ふ、と。  隊長の脳内に響く声── “念話”。  突然の念話(こえ)に隊長は口をつぐみ、眉を寄せ何事かと辺りを見渡す。  ──その数瞬後、大気を震わす甲高い轟音が天空より鳴り響いた。 「なっ! なにが──ッ!?」  耳をつんざく轟音に、隊長は思わず耳を塞ぎながら魔物の群れの方へ向き直る──そして、驚愕に目を見開いた。  まるで焼き付くように、隊長の瞳に映った光景は──曇天を切り裂き、天より降り注く(おびただ)しい数の“漆黒の(いかずち)”。  夜の闇すらも塗り潰し飲み込む黒く輝く稲妻が、絨毯(じゅうたん)爆撃(ばくげき)の如く吹き荒れ──無限とまで思えた程の魔物の大群を、眼前の森諸共(もろとも)ものの数秒で跡形も無く消し飛ばしてしまっていた。 「……ふう。こんなモンでイイかな」  ──ふわり、と。1人の少年が独り言を呟きながら隊長の前に降り立った。声の調子、そして背丈からして、まだ年端(としは)もいかない子どものようだ。  足下まで覆う漆黒のローブを纏ったその少年は、深く被ったフードで顔を隠しておりその表情を伺うことはできない。 「き、君は……?」  隊長は、半ば呆然としたまま声を絞り出す──これまで自分たちが死力を尽くしても止めることのできなかった魔物の歩みを、一瞬にして止めてしまった眼前の少年。理解し難いその存在の前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。  少年は、フードを被ったまま隊長を見上げる──フードの奥から覗く金色(こんじき)の瞳が、隊長を真っ直ぐ射抜いた。  その瞳に見据えられただけで、隊長の全身に震えが走る──「コレは異常だ」「目を合わせてはいけない」「逃げろ」と、長年の魔物との戦いによって培われた自らの危機感知能力が、眼前の少年に対して全力で警鐘を鳴らす。  だが、そんな隊長の様子など気にも留めず、少年は気怠そうに口を開いた──。 「俺は……“黒雷(こくらい)戦神(せんじん)”。  ──この絶望(せんそう)を、終わらせる存在だよ」  
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