第二十章「すれ違い」

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 朱雀の言葉を受けた水乃は「特になにも知らない……?」と、眉をひそめその言葉を反芻する──そんな訳ない、思わず声に出しそうになったその言葉をぐっと飲み込み、冷静に思考を巡らせる。  ──いつ頃からかまでは正確には分からないものの、少なくとも10月に入ってから、龍也と華音がほとんど会話していないことに水乃は気付いていた。  龍也は文化祭委員で忙しそうだから仕方ないか──と、当初は思っていた水乃だが、様子を伺っている内に朝のホームルーム前や授業間の休憩など、文化祭委員の活動とは関係ない時間ですら話していない──なんなら、どうにか会話を続けようとする華音に対して龍也は短い返事のみでそれを切り上げていることに気付き、龍也に原因があると踏んだのである。 (けど、龍也はなにも知らない、か……これは、華音に直接話を聞いてみるしかないかな)  心中でそう呟き、思考を纏める水乃。そして中断していた食事を再開すべくスプーンを手に取りながら口を開いた。 「とりあえず、私の方でも華音と話してみるよ……なにか分かったら、共有するから」 「そうか……しかし、華音は見るからに不安定な状態だ。くれぐれも、問い詰めるようなことはするなよ?」 「言われなくても、そんなことしないよっ」  ルーとライスが均一になるようにカレーをスプーンで掬いながらそう言った水乃に、朱雀も箸を手に取り焼き魚の身を器用にほぐしながらそう返す。  その言葉につんと唇を尖らせつつも、水乃は「遅くなる前に華音の部屋に行かないと」と、スプーンを動かす手を早めた。  * * * 「──華音、いる? 水乃だけど……」  食堂での朱雀とのやり取りから、時は流れ──時計の針が20時を少し回った頃。  入浴まで終えた水乃は、ショートパンツの部屋着の上から学園指定の白いカーディガンを羽織った姿で華音の部屋を訪ねていた。  扉の脇に備付けられた呼び鈴のボタンを押し、水乃は扉の向こうに向けてそう声を上げる──数秒、沈黙。いつもはすぐに対応するはずの華音だが、部屋の中からは返事すら聞こえない。  もう一度呼び鈴を鳴らしつつ、水乃は首を傾げた。 「こんな遅くに、留守……?」  しんと静まり返った通路に、訝しげな水乃の声が響く──カチャリ、と。不意に扉の内側からロックを解除する音が聞こえた。 「あ……良かった。いたんだね、かの──っ、華音!?」  思わず、驚きの声を上げる水乃──見開かれた青い瞳には、酷く泣き腫らした目と涙の跡が残る頬が痛々しい、疲弊した表情で扉を開ける華音の姿が映っていた。  制服のまま身を丸めていたのか所々皺になり、着崩したように乱れた姿の華音は、ぼうっと濁った灰色の瞳で水乃を見つめる──ぐらり、と。不意にその身体がよろめいた。 「──っ!? な、なにがあったの……?」  水乃は咄嗟に片方の手で扉を押さえ、もう片方の手と身体を支えに華音を受け止める。そして、困惑と心配が入り混じった声色でそう尋ねた。  水乃の胸元に顔を埋めた華音は、縋り付くようにカーディガンを握り締める。そして、肩を震わせながら口を開いた。 「っみ、水乃ちゃん……。  どうしようっ……龍也くんが、()られちゃう……っ」  嗚咽混じりに吐き出されたその言葉に、水乃は困惑を表情に浮かべ「龍也が……? どういうこと?」と首を傾げる──とりあえず、落ち着いて話せる状態にしないと。突然の状況に混乱しつつも心中でそう冷静に呟き、華音を支えながらゆっくりと玄関へと足を踏み入れ、扉を閉めた──。  * * * 「……ほんと情けないなぁ、私」  時は少し遡り──第四闘技場を後にした華音は、涙を隠すように俯き重い足取りで屋外施設が立ち並ぶ通路を歩きながら、ひとりそう呟く。  朱雀たちに迷惑を掛けたどころか、泣いてしまったことで余計な気を使わせてしまった──再び目尻に浮かんだ涙を振り払うように首を横に振り、華音は顔を上げる。 「今度、ちゃんと謝らないと……悪いのは、全部私なんだから。そして早く特訓に復帰して、水乃ちゃんと鋼堂くんに()()()しないとっ」  自分を奮い立たせるようにそう言い、歩調を早める──通路を抜け昇降口前の中央広場に出た華音は、不意にぴたりと足を止めた。   「……龍也くん、まだ話し合いしてるのかな?」  そう呟き、校舎を見上げる華音──特訓の邪魔にならないよう一時的に“ボックス”に入れていた学生鞄は手に持っているし、忘れものなどの心当たりも特にない。このままの流れで帰路に着くなら寮へと続く道に進めば良いだけなので、わざわざ4階の教室に戻る必要は全くない。  ──しかし華音の足は寮へと向かず、半ば無意識に昇降口をくぐっていた。  上履きに履き替え、心なしか早足で階段を登っていく──4階にたどり着くと、1-Aの教室から聞こえる賑やかな声が華音の耳に入った。  華音は入口前で足を止めると、扉の影に身を潜めるようにして耳を澄ます──活発に意見を交わす複数人の女子の声、そしてその中に混じって聞こえる、想い人の声。 「うう、盛り上がってるなぁ……ちょっとだけ、様子を見てから帰ろっと」  談笑しているようにも聞こえたその声にチクリと胸が痛み、黒くもやもやとした感情が溢れ出そうになるが、深呼吸をし「話し合いをしているだけ」と自分に言い聞かせることでなんとか落ち着かせ、華音は静かにそう呟く。  そして、僅かに開いた扉の隙間から教室内を覗き見ようとした──時だった。 「──あの、ちょっと良いかな……()()君っ」  ドクンッ、と──その声が鼓膜を震わせ脳に響いた瞬間、華音の胸が激しく高鳴った。  
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