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関東大震災の折、我が伊勢原市では青年団ではなく、老人団なるものが発足した。
九月十五日の大雨の影響で大山では山津波が起きた。先の震災でいくつも地割れが起きていたところへの大雨のため、矢も盾もたまらず町は被災した。老人団は山津波に被災した 人々を救うために募られた団体だったのだ。
いつ次の山津波が起きるかわからない状況だった。多くの人が心配はすれどなかなか助けに向かえない状態にあった。誰もが己の身の安全を守りたかったのだ。
だから老い先短い者を募り、団を発足し、捨て駒にしたのだと誰もが思った。
そう思ってなお、老人団の派遣に異を唱える者はなかった。
しかし、いざ老人団が大山へ臨もうとすると、青年団の団長がたまらず止めに入った。老人団の頭が知人であったらしい。だが青年団が止めるのも聞かず、老人団は大山へ鍬とスコップと大八車を担いで救助へ向かった。
老人団のおかげかどうか、市内の家屋のほとんどが全半壊の被害に見舞われたにも関わらず、死者は二人で済んだ。
後日役員の詰所になっていた、比々多小学校で話を聞いてみると、この団を取り仕切る老人が笑いながら言った。
「死地に町(当時は伊勢原町)の若い者を行かせられるか。死ぬのは老人の仕事だ。みなそう思ったから集まった。町のために皆なにかしたかったんだ」
彼らは、誰かに押し付けられたのではなかった。自ずから団に志願したのだと明かされ、その場で話を聞いていた町役場の職員、青年団の皆、しばらく何も言うことができず、そのままの姿勢で佇んでいた。
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