永遠の午に咲いた薔薇

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   整然と協同する歯車、脱進機(エシャップマン)、テンプ、加えていくつもの驚くべき複雑機構(コンプリケーション)。そこに現れた極々微細な歪みを、ドニスはほとんど霊感というべきものによって見いだしたのだった。  壊れた時計とともに届けられたのは、これまた華美な、貴石と細工、技巧を凝らした――ただし前者のものと比べれば見劣りがし、また、壊れてはいない――美しい懐中時計で、同封された手紙にはそれを一つ目の時計の修理代に充(あ)てるようにと書かれていた。手紙には加えて、時計の不具合についての見解が丁寧な筆跡で綴られており、送り主もまたかなりの目利きであろうことが窺えた。  ドニスはほとんど二つ返事で依頼を受けた。もちろん金銭のことでいえば、王も認める彼の工房には既にかなりの修理と新作の注文とが溜まっており、実際には新たな仕事を受注する余裕も理由もなかった。工房の経営役などは、余計な仕事を背負い込んで他の依頼に支障が出ては困ると、露骨に眉をしかめたものである。しかしそれでも、尽きることのない仕事の合間を縫い、寝食を削ってまで彼を修理作業に没頭させたのは、その一流の時計師としての誇りと探求心であったのだろう。  そうして一年。ドニスは工房を抜け出せない自分に代わって、将来を嘱望(しょくぼう)される時計師である自らの娘ガブリエルを、依頼主の下へ送り出したのだった。  行き先は〈鐘の城〉。とうの昔に打ち捨てられたはずの古城へ向かう彼女の手には、何者とも知れぬ差出人による依頼書とともに、ふたたび正しい時を取り戻したあの懐中時計があった。  日の出前に村を経ち、東からじりじりと高度を上げる太陽を横目に見つつ数時間。とうとう森を抜けたガブリエルの前に現れたのは、この頃では稀に見る偉容の古城、〈鐘の城〉。砂色の郭も、それを越えて頭を覗かせた鐘楼も、赤錆びたくろがねの門扉も、どれも噂に聞いていた通りの姿だった。異なるのは唯一、門が開かれていることだけか。彼女は背中の荷物を背負い直し、潮風になびく髪を押さえつつ、馬一頭分ほど開いた門扉へ歩き出した。  
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