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通夜の席
「ねーお父さん。そのビール、シェリフにやってもいいかな?」
多香子は葬儀に来てくれた近所の者たちと飲んでいる父にそう聞いた。
爺さんの家は古民家を改造した住まいで、土間と囲炉裏がある板の間の部屋で皆は飲んでいた。
漆喰の壁には大鹿の角が飾ってあり、マタギの威厳を感じる古めかしい雰囲気が漂っている。
「犬がビールなんて飲まないだろ?多香子、なにバカなこと言ってんだ」
多香子の父親、つまり爺さんの一人息子は中学を卒業するとすぐ都会の高校に行きたいと言って田舎を逃げ出した恥知らずな奴である。
爺さんはいつもこの馬鹿息子のことになると、俺と飲みながら愚痴ばっかり言っていた。
狩りを教えても、まるでセンスも根性もやる気もなかった一人息子であるが、結婚した奥さんは自然大好きな活動家で、娘の多香子は爺さんの血を引き継いだのか狩にも興味があり、将来は猟銃の免許も取ってクレー射撃をやってみたいと言っている。
『こいつは変わらんな……』
爺さんはそう呟いて、悲しげに俺の頭の奥に退散した。
「その犬は爺さんに似て、酒飲みなんじゃよ」
一緒に飲んでいた年寄りが多香子にビール瓶を渡してくれた。
多香子はそれを受け取ると、泡を立てないように床に置いた皿に注いでやる。
「はい。どうぞ」
俺はそんな多香子に微笑みかけて、そのビールを旨そうに飲む。
傷と打撲に染み渡る、キンキンに冷えたビールだ。
「ほんとだ。変な犬だな」
多香子の父親、秋鹿良平は珍しそうに俺の飲みっぷりを見ていた。
一緒に住んでた時期もあったが、興味がないのか動物が嫌いなのか、俺の事も爺さんの事もよく知らないのだ。
「お父さん。犬だなんて、失礼でしょ。ちゃんと名前で呼んであげなきゃダメですよ」
台所に立っていた良平の妻由里子が、料理を持って来て良平に注意している。
「そ~だよ。シェリフって私が名付けたんだよ。それにシェリフは私の命の恩人なんだ……」
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