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史恵の夫であり澄恵の父でもある木月七栄(きづき=ななえ。)が陸軍に召集されたのは昭和19年。今から24年前の事である。しかし澄恵が生まれ戦争が終わり、そして澄恵が娘盛りを迎えた今になっても、史恵の姓は木月ではなく旧姓の幸野(こうの)のまま…つまり七栄は戦地から戻ってはいないのだ。当然澄恵に父七栄の記憶はない。
「父さんも無責任ばい。なんで戦地ば行く前に母さんと式ば挙げんかったと?。」
恨めしそうに澄恵。さすがに今そのような事はないが、小学生の頃はクラスの悪童連中に散々父がいない事をからかわれたのだ。
「七栄さんば責めても仕方なかろうも。そぎゃんこつば言う暇があんなら、帰って明日の仕込みばした方がずっと為になっとよ澄恵。雨戸ば閉めたまま来たけん、ひょっとしたら行き違いで七栄さんが来ちょって、店に入るに入れず困っちょるかもしれんやろうも。」
そう言ってなんとか弱気の中から元気を搾り出し、仕事場兼自宅である駅前食堂へと歩き始める史恵。
今日来なければ明日、明日来なければ明後日、きっと七栄はあの日の約束を守り、万難を乗り越えて自分と澄恵の所に帰って来てくれる…。
そんな母の信念と様子を幼少時から今に至るまでほぼ毎日見ているだけに、澄恵はそれ以上父を責めようとはしなかった。
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