64人が本棚に入れています
本棚に追加
「あと緒方。靴のかかと踏むな」
ボケッとしながらあくびをしていた緒方に注意すると、緒方は眠そうな返事をするだけで、くつを直すまでには至らなかった。
「気を付けて帰れよ」
「うーす」
「さよならー」
まったくもって自由だ。
くだらない話をでかい声で繰り広げながら歩いていく三人組。
その声を聞きながら、おれは廊下を歩く。
今日は担任が休みで、副担のおれが教室の戸締まりを確認しに行くのだ。
放課後まで残る生徒は多数いる。窓を開けっ放しにしたまま帰る生徒も多いのである。
E組の中に入る。窓を確認して、ついでに黒板のらくがきも消す。
特になにかが起こるわけでもなく完了し、ふぅと一息。顔にあたる夕日がまぶしい。戸をぴっちりと閉めて、来た道を戻る。
歩いていると、B組の戸が開いていた。しめようとして教室の中を除くと、机に足を組んで座り、窓の外を眺めている女子生徒がいた。
「誰か待ってるの?」
声をかけると、女子生徒は無反応だった。変わらず窓の外に目をやって、微動だにしない。
無視かよ。
どうしたもんかと小さくため息をつく。時計に目をやるともうすぐ六時を廻るところだった。
ま、いっか。と思って女子生徒を一瞥する。B組は教科として受け持ってないから、知っている人、少ないし。
「……」
そんな些細な瞬間、なんの心構えもなしに彼女を見てしまった。
不意討ち、という形がふさわしい。
初めておれは、人間を美しいと思った。
「あ……」
声がこぼれるほどに。
彼女はいつの間にかおれをまっすぐと見ていて、夕日を反射する頬がキラキラと光っている。涙だ。
彼女は泣いていた。
女の武器は涙。
だけど、反面、涙は男を引き留めることはできても、惹き付けることはできない。惹き付けるのは笑顔であると、これは誰の言葉だったか。
だけどおれはそのとき確実に彼女に惹き付けられた。ものすごい引力をもってして、彼女の涙はおれを引き付けた。
「先生」
「あ、ああ。どうした?」
はっとする。なにを見とれてるんだ、おれは。
相手は生徒だ。
最初のコメントを投稿しよう!