世界が世界であるために

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どこを探しても、浮雲さんは出てきません。あの、美しいスカートも、可愛らしい瞳も、声も、私たちの前に姿を現わしてはくれないのです。誘拐犯と私は、部屋の隅々まで舐めるように探し回りました。けれど、ついに見つけられませんでした。或いは、浮雲さんはそこにいたのに、私たちに浮雲さんを視る能力が抜け落ちてしまったせいかもしれません。しかし、私たちは確かに存在の消滅を感じていたのです。この缶詰から、浮雲さんの存在が消え去ったのを、私たちは、理解していました。私は自分を責めました。私が、浮雲さんを飲み込んでしまったと思い、半狂乱になって泣きました。その時、呆然と立ち尽くしていた誘拐犯が私の頬を強くぶって、揺るぎない瞳で言いました。「僕の浮雲は、きみ程度の人間に飲み込まれたりしない」馬鹿にするな、と言い放った彼は、傷ついた横顔をしていました。彼は私の何倍もの時間を、浮雲さんと過ごしてきたのですから当たり前です。どうしていいかわからず、私は頷いて言いました。「浮雲さんのかわりに、私があなたを守ります」それまで、守られてばかりいた私の、宣戦布告ともいえる言葉。誘拐犯は、私にぎゅ、と抱きついて、ずっと、私の胸に顔を埋めてじっとしていました。私は震えながら、痛いほどに真新しい世界を受け容れていました。関わり合う、世界。世界は、相互作用で形成されていたのです。
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