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僕は卑怯だった。自分の命運を、この嘔吐したばかりの弱々しいオンナノコに押しつけて、電柱の後ろで震えてる。最低のオトコノコだ。でも、そんな一般論的見解はどうでもいい。オトコノコより強いオンナノコなんか、ざらにいるじゃないか。彼女が死ぬと言ったら僕も死ぬし、生きるといったら僕も生きる。それだけだ。さて、彼女はどうするつもりだろう。彼女は遠く、水平線を見詰めていた。華奢な背中を覆うセーラー服の襟が海風にひらめいた。「くしゅん」彼女はくしゃみをひとつすると、ふらふらとその場に三角座りした。それが、答えだった。死の前に怖気づいたんじゃなくて、単純に選択肢から外したのだ。僕は、がっかりしたような、ほっとしたような、不思議な気持ちで溜息をついた。呼吸するのを忘れていたようだ。息を殺しっぱなしにしていたせいか、ちょっとだけ頭痛がした。ひょっとすると、僕だけ先走って一人で逝っていたかもしれない。あぶないあぶない。汗を拭って彼女を見ると、隣に置いていた鞄をがさがさと探っていた。革の鞄には、これまた女子中学生にしては古風な匂い袋がぶらさがっている。彼女は鞄から包みを取り出すと、膝の上でほどいた。中には、大きくて真っ白なおむすびが三つ、鎮座ましましていた。彼女はにっこりと笑うと(これが痛いほど可愛い)、真ん中の一つを掴み、大きな口をあけてかぶりついた。もぐもぐ。実においしそうに咀嚼している。時折のどに詰まらすと、鞄からやかん(!)を錬成し、ごくごくと喉をならして飲んだ。中身は麦茶と推測する。彼女の鞄は某真理の扉につながっているに相違ない。包みの中身を全部やっつけてしまうと、彼女は、ふう、と息をついて空を仰いだ。短めに切りそろえられた黒髪が、さらさら。なんだかとても気持ちよさそうにみえた。もしも今、彼女の隣に座れる権利がオークションにかけられたら、僕は命がけで競り落とすだろう。内臓だって売る所存だ。でも、なんだか、彼女の存在が現実のモノじゃなくなってしまう気がして、僕はその場から一歩も動けなかった。それにしても、海なんて何年ぶりだろう。泳ぐのは苦手だけれど、この塩辛い水溜りは、改めて対峙してみるとやっぱり生命の源と豪語するだけの貫録があるな。
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