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更に家光は、孝子から将軍夫人を示す「御台所」の呼称を剥奪。
また、側室が生んだ子供らと孝子の養子縁組を結ばなかったため、嫡男・家綱が四代将軍となっても孝子は嫡母として扱いを受けなかったという。
勿論 小石君は、この大叔母とは何の面識もなかったが、幼い姫にとって孝子は一生心に焼き付いて離れない悲劇のヒロインであった。
「お父さん……うちかて東夷のごとき地など、行きとうもありませぬ」
「さよか」
「されど、心積もりは出来ておりますのや。関東へ参ることの」
「…?」
娘の発言に教平はやや驚いた。
「うちは世間知らずの娘ではありますが、お家のために泣く泣く武家に嫁いでゆく、他の姫君方を多く見て参りました故」
御三家などの大名家に、公家の娘たちが降嫁するのは特に珍しいことではない。
公家は一見華やかに見えても、貧困に喘ぐ家が多いのが今の現状である。
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