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徳川の情勢は、死んだ本多正信を肯定、つまり藤堂家と敵対関係を望む親本多派と、藤堂家とは融和関係を維持する反本多派との二つの派閥に分裂していた。
氏真の提案で、藤堂家として反本多派を陰ながら支援していた。
家康自身も反本多派であるとの報告を権左から受けていた。
俺は最終的に反本多派が勝利し、徳川家と同盟を結びたいとさえ思っていた。
それが今回の親本多派の沓掛城焼き討ちにより、霧散した。
(さて、徳川の仕置きをどうするか…だな。)
そんなことを考えながら、出陣までの三日間を過ごした。
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