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それは伯爵夫人の右眼だった。あたしには左眼と同じ、絵具の塊にしか見えなかったのに……。
「此の肖像画に使われている青の絵具は、此の辺りでしか採れない青金鉱を砕いて作られた物だ。僅かに金粉の様な物が混じっているだろう?」
言われて見れば確かに、煌めく金色がほんの少し混じっている気もする。元貴族なだけあって、観る眼はあると言う事か。
「その鍵が隠し財産って事は、無いわよね。何の鍵だと思う?」
「さて、宝物庫の鍵か、宝箱の鍵か……後者なら持ち去られている可能性も有るが。ともあれ城の中を廻ってみよう。此は預けておく」
メルはあたしの手を取ると、見た目以上に重量の有る鍵を手渡してきた。鍍金じゃなく、ほんとの純金製みたい。
あたしも一緒に、もう一度だけ城内を廻ってみる事にした。メルなら、あたしじゃ気付かない様な事も見付けるだろうから。
此のガーティミア城は中庭も塔も無い完全に一棟だけの小城で、その為に階段も上階へ続くものが二ヶ所と、地下へ通じるものが一ヶ所造られているだけだった。三階建てで地下は一階。
元々は王族の別荘だった物を、何代か前の伯爵に嫁いだ王女が受け継いでいた為に、伯爵家の居城と為ったらしい。その王女は二度目の結婚だったらしいから、その辺の理由で別荘がおまけ代わりに付いてきたのかも。
昔の事だし、考えても仕方無いけれど。
割れた壷やら花瓶やらの破片が散乱する玄関ホールを進み、先ずは一階の大広間に入った。
無数の足跡で土塗れと為っている擦り切れた絨毯の上には、見事な迄に何も残されていない。家具や調度品と言った類は全て運び出されていた。
余程、趣味が良かったのかは知らないけれど、壁の壁画や柱の彫刻まで削り取られていたのには最初、驚かされた。
割れた窓から絶えず雨風が吹き込んで来る所為で、窓際の壁や絨毯はびしょ濡れになっている。その辺りからは黴臭い匂いも漂っていた。
「こんな状態では、お前とダンスに興じる事も出来んな」
不意にそんな事を言ってきたから、昔、戦の合間にお遊びで社交ダンスを覚えさせられた時の事を、急に思い出してしまう……もう踊れないだろうけど。
「馬鹿言ってないで、仕事に専念したら?」
微かな動揺を隠しながら、冷え切った灰の溜まった煤だらけの暖炉の前を過り、奥へと進む。
今更、昔の事を思い出すなんて、どうかしてる。
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