「ラテンの哀調」

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俺はこの詩のタイトルである「スパニッシュ」にすごく思い入れがあって、 日本人としてラテン(異国)文化の持つ「哀調」を表現してみたかったんです。 俺個人の意見として、日本人って「異国文化に憧れる民族性」を持ってると感じてます。 古来の「神」がいるにも関わらず「仏教」や「キリスト教」まで普及してる。 「仏教」にしても当時の政権による布教が背景にあったとはいえ、 平安時代の貴族による「絢爛たる極楽浄土趣味の建築物ブーム」のデザインは明らかに「日本じゃない異国への憧れ」が、 当時のデザイナー達によって具現化したものじゃないかなと。 家族で訪れた京都の「平等院鳳凰堂」を見て、頭の片隅で思いを馳せていました。 描写されてるのはどう見たって、日本じゃありえない風景だもん。 キリスト教も戦国時代の日本人にもたらしたものは、その思想以上に「異国への憧れ」ではなかったでしょうか。 その影響を受けた代表的な人物の一人が、「南蛮趣味」の「織田信長」だと俺は思ってます。 話しが逸れちゃったけれど、 この「スパニッシュ・バタフライ」はポルノグラフィティの「アゲハ蝶」に少なからず影響を受けてます。 決定的に「違う」のは「アゲハ蝶」の歌詞は「旅が続いていく」のに対し、 「スパニッシュ・バタフライ」は「旅の終わらせ方」を示唆しています。 「終わらない旅を続ける」のではなく、 「いっそ旅を終わらせる」のが、武士道的というか「日本人の感性」らしく思えて。 この辺りは、読んで下さった方がどんな「感想」を持つか興味があります。
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