256人が本棚に入れています
本棚に追加
/194ページ
いつの間にか日はもう暮れてしまい、辺りはすっかり暗くなっていた。
道の両脇に並ぶ木々の黒々とした影が、次第にまばらになっていく。山すその荒れた道が終わり、荷台の揺れが穏やかになった。
ゆったりとした夜風が吹き抜け、ワルトの鼻をなでた。
ワルトは何かに気づいたようにふと空を見上げると、小さな声でつぶやいた。
「風が匂う……こりゃ、今夜は雨だな」
「さすがは竜騎士。風には敏感ですな」
グリンデルはすかさずワルトに相づちを打ち、空を見上げた。
街道わきの木々がなくなり、すっかり開けた空にはいくつもの星が瞬きはじめている。そこにこれから雨が降りそうな気配など、どこにも感じられない。
竜騎士に限らず、竜使いと呼ばれる人は風読みを得意とする。
それは、竜という特殊な動物を扱うことに深く関係していた。
竜に乗るということは、風に乗るのと同じことだ。
竜は概して巨体であり、その体を上手く風に乗せるだけでも簡単なことではない。
野生竜が山に好んで集まるのも斜面や崖が多く、風に乗るのに適しているからである。
風向きや天候は、竜を御する上で欠かせない情報なのだ。
暗い道を、御者台にともる頼りない明かりがゆらゆらと照らしている。
車輪が土を軽快に弾く音だけが、静まりかえった旧道に規則的に響いていた。
「どうやらようやく着いたようです。民家の明かりが見えてきました」
平地に入ってしばらく経った頃、グリンデルがそう言って馬車の前方を指差した。
ワルトがグリンデルの指差す方角の暗がりにじっと目を凝らすと、遠くにぽつぽつと明かりが点在しているのが見えた。
村に近づくにつれて、鼻の奥に少し残るような独特の甘い香りが漂ってきた。
「竜よけの香か。今夜は野生竜を気にせずにぐっすり眠れそうだ」
ワルトは目を細めると、初めて嬉しそうな笑みを見せた。
「そういえば、竜よけの香はエタハ村の名産でしたな」
前方の村の明かりを眺めながら、グリンデルはのんびりとした調子で話を合わせた。
しかし急に何かを思い出したのか、はっとした様子でワルトに顔を向けた。
「私は少佐殿に、大事なことをお伝えし忘れておりました。どうやら長旅で、私の頭もだいぶ鈍っているようです。今日お泊まりになる村の駐屯地についてなのですが……」
グリンデルは、ひどく申し訳なさそうに続けた。
最初のコメントを投稿しよう!