暇を持て余す神

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 本来、富士山程の標高を持つ山の山頂部分は、その気候条件から高山植物くらいしか生息することができない筈なのだが、どういうワケか、この『時空神宮』一帯の山だけは、山頂部分も麓と同じ気候状態で保ち続けている。その為、この神社の象徴とでもいわんばかりの巨大な桜も、満開に咲き誇ることができるのである。  もっとも、この神社に生えている巨大な桜は、時空郷西部の位置に咲いている桜並木の桜とは違い、色々と特別な意味合いを持つ桜であるが、それについてはまた後述しよう。  とにかく、『始まりの神』が住まう神社は、それに見合うだけの豪華で馬鹿デカい神社に住んでいるという事だけはご理解を頂けたい。  まぁぶっちゃけ、この面倒な解説も、当の本人がすればいい話なのだが、生憎本人は例の大戦争の反動からか、大の面倒臭がり屋になってしまい、現在(いま)となっては常に暇を持て余しているような状況である。  正直、この世界に数多に存在する神々の中でも『創造神』と呼ばれる神々の頂点に君臨する『始まりの神』が常に暇を持て余すのもどうかと思われそうだが、これがこの世界では普通なのである。  遥かなる古の頃から、ほとんどその風景を変えない時空郷には、今日も、心地よい風が『時空神宮』の総本殿に吹き抜け、満開に花咲く巨大な桜がその美しい花弁を空に舞わせ、幻想的風景を映し出している。  文明が発展し、未来世紀に突入しているこの世界の人間界でいつしか忘れ去られてしまった原風景。……それがこの時空郷には存在し続けている。  普段は絶対的不可侵な結界によって訪れることは不可能であるが、稀に『始まりの神』と六星界の各創造神、幻想界の神々との会合を開く際は、結界を緩め彼等を総本殿に案内する時もある。故に、この美しき原風景を知る者は、六星幻時界の住人達でも極一部の者しか存在しないのである。  そんな時空郷の世界の中で、今日も変わらずの原風景を見つめながら『始まりの神』は暇を持て余す。それが彼女の日常のスタイルであるが為。  誰かに縛られることを嫌い、自由意志を何よりも尊重し愛する。……だからこそ彼女は全てを生み出した創造神としてこの世界に存在しているのかもしれない。  満開に咲き誇る桜の巨木から薄紅色の花弁がハラリと総本殿内にある池に舞い落ちて、水面に波紋を広げていく。それだけが、この時空郷に時間が流れている事だけを証明していた。
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