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尾行てみようか。
そう思ったのはほんの気紛れからに過ぎなかった。
晩酌用のビールを買ったコンビニからの帰り道、長方形の布張りケースを背負った女が前を歩いていた。
別段、彼女に何かしようと思って尾行をはじめたわけではない。たまたま自分の先を歩いていただけで、知り合いでもなければ、おそらく過去に見たことのある女でもない。
いや、この近くに住んでいるならば通勤などの行き帰りに道で擦れ違っていたり、顔ぐらいは知っている女である可能性もなきにしもあらずだが、少なくとも今はそう意識して尾行しようと思ったわけではなかった。
夜目にも明るい色合いの小花の散ったスカートが揺れている。その裾から突き出している足が、規則正しく動いて、アスファルトに硬い音を立てている。
どんな顔の女なのだろうか。短めのスカートだ。若い女なのかもしれない。はっきりとは見えないが、ショルダーバッグの感じからしても、育ちの良さそうな身なりをしているように見える。
これは娯楽だ。
家に帰ったところで、誰かが待っているわけでもない。
そして、明日に備えて早く寝ないといけないと立場でもない。
そういう日々が続いていた。なけなしの貯金を切り崩しながら、コンビニ弁当と安い発泡酒という組み合わせの食事を取る。コンビニ弁当が近頃ではカップラーメンもしくは惣菜パンに変わり、発泡酒の缶が薄めた焼酎に変わりつつあったが、それ以上の食事になる事はめったになかった。
ベンチャー企業を立ち上げると言った友人から一緒にやらないかと誘われたのが、十年余り前のこと。そいつが社長なら、自分はナンバーツーぐらいにはなれるだろう。反対する両親に威勢良く啖呵を切って実家を飛び出した。
今思えば、さすがのあいつも事を始めるに当たっては心細かったのだろうと思う。だから、自分が必要だったのだ。軌道に乗るまでは。
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