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からっぽになった掌を暫く眺めていた。何も掴んでいないその手を見て、恭一は思う。終わったのだ、と。夢の中に生きる彼女の世界を何一つ変えないまま、ビー玉は小さな掌の中で輝いていた。
ふと我に返り、踵を返す。再び襖へ手をかけるとき、恭一はもう一度だけ部屋の中を覗いてみた。
琴子はまだビー玉を握り締めていた。先程まで彼女がそうしていたのだろう、窓から目一杯身を乗り出して、月の光を少しでも拾おうとしながら。
空を掴もうとするかのようなそれを数秒間眺めた後、恭一は部屋を出た。刹那、彼女の口から何か言葉が零れ落ちたような気がした。けれどそれが何だったのか、――あるいは誰の名前だったのか。それはもう、誰にも分からない。
ただ一つ確かなことがある。
その晩、琴子は死んだ。
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駅は無人だった。時刻表を確認すると、始発まではまだ一時間以上ある。普段なら歳老いた駅員が一人で回している切符売場の窓は、今は固く閉ざされている。恭一がベンチへ腰掛けると、三月ももうすぐ終わるというのにしぶとく残る冬の空気が吐息を白へと染め上げた。
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