昭和45年1月22日

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真田一美産まれる とある田舎町の日赤病院ではなく、個人の小病院でアタシは産まれた アタシの他には3つと6つ上の2人の姉がいてみごとに期待はずれの三姉妹が誕生した日でもある 後日聞いた話だけど 初めはお父んはアタシが出来た頃は 「(赤ちゃん(勿論アタシ))いらん!いらん!捨てれ」 って何度となくお母んに言ってたみたいで… あぁアタシってバッチリ要らん子だったのね と心ん中で苦笑いしつつ、お母んに「マジでぇ?」って笑ってた 聞いたのはもぅ30過ぎてたから今更腹立てたって面倒くさいってか無意味だしね。 ところが一転 産まれたアタシを見るなり 「やっぱり可愛いのぅ。持って帰るか」 とお母んに言ったそぅだ 無事真田家に入るコトができました(笑) でも 今ならなんとなく分かる気がするょお父ん 5才の長女、2才の次女に0才のアタシ… そりゃうざいよね(笑) しかも女だらけだし(笑) アタシは子供いないけど この春2匹目の猫を飼うコトになって大変だけど人間よりはマシかと思う今日この頃です。 さて "一美"と言う名前はお母んの兄が決めた名前でして… お母んと広中のおっちゃん(そぅ読んでた)があれやこれやと名前を考えてはいたそぅな 因みに 長女は正子(まさこ) 次女は博美(ひろみ) 3人目となりゃ初めは悩んだろうけど、だんだんいい加減になったんだろうね 決めきれないままお母んが広中のおっちゃん家を後して玄関を出たその時おっちゃんが 「一美でええじゃろ」 と言ったそぅな …なんじゃそりゃ(T▽T) この話は何回思い出しても なんじゃそりゃ(T▽T)な話です かくして 当時(昭和)男の名前に使われた漢字で名前をつけられた為に、博美とアタシは高校の卒業シーズンにスーツ販売のハガキが何枚も届くという半笑いな未来が確定したのだった
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