プロローグ「終劇のあとで」

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 病室に入るといつもの光景が広がっていた。  飾り気のない真っ白い部屋、椅子に座り俯いたままの女性。申し訳程度に一輪の花が窓際に置かれた花瓶に刺さっており、それを見つめる少女。  僕は女性に挨拶を交わし、お見舞いに持ってきた果物を手渡した。  いつもすいませんと言う女性も憔悴仕切った様子で、少女に話しかける。しかし返事はない。  幾度となく繰り返されたその返答に、女性は苦笑を浮かべた。 「相変わらずですか」 「はい」  女性がそう答え、病室を出ていくのを見届けてから、僕は口を開いた。 「答えを見つけたよ」  彼女は答えない。我関せずを貫いたままだ。 「もう、忘れていい。僕のことも、今までのことも」  いつか彼女が言っていた。でも、僕らはいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。だからこそ僕は今ここにいる。  心に巣喰う闇は、誰もが持っている、いわば業のようなもの。人はみなそれに折り合いをつけて生きている。  今の彼女ならこの意味が分かるだろうか。白紙になったノートに書きなぐる言葉の本質を見つけ出せるだろうか。  彼女は答えない。答える必要もない。あの日、あの時、彼女は答えたから。  最後に交わした言葉を思い出す。深い絶望とほんの少しの希望にすがるしかなかった彼女の言葉は、僕には到底理解出来るものではなかったが、今なら分かる気がする。  大切なものを失い、何もできなかった自分と、知ろうともしなかった自分への怒り。その怒りはどこにぶつけるべきなのか。  彼女は答えない。  それでいい。知らなくていい。それが彼女を救う唯一の光だから。 「それじゃ、僕はもう行くよ」  多分、ここに来ることはもうない。伝えるべき言葉はとっくに伝えてある。あとは彼女の中でそれをどう飲み込むかだけ。 「元気で」  そう言って、部屋を出る瞬間に声が聞こえた。  振り返ると、彼女がこちらを見つめている。その瞳に色はない。 「あの……」  何を言うべきか迷っているのか、それとも自分に対する疑問を投げ掛けようとしているのか。  沈黙が支配する僕らの距離は、今も昔も変わらない。ならば、僕が伝えるべきなのは――。  病院から出ると、オレンジ色の空が辺りを包んでいた。徐々に日も短くなっている。夏が終わりを告げようとしていた。  煙草に火をつけ、昇っていく紫煙を見つめながら僕は思い返す。
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