《一》呼ばれても困りますっ

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 香椎(かしい)真珠(まじゅ)の耳に届く教師の声は、まるで子守唄のようだ。  ここ数日、寝不足だった真珠にはそれは心地よく、シャープペンシルを握ったまま、舟をこいでいた。  白いノートには、意味をなさない線がにょろりと描かれる。  ──この世界の救世主。    真珠(しんじゅ)の名を持つ、救い主よ。  夢うつつの中、真珠はそんな声を聞いた……ような、気がした。  聞いたことはないが、ここのところ夢の中で毎日聞いていて、おなじみになってきている声。 「香椎っ! オレの授業で眠るとは、いい根性しているな!」  耳を引っ張られ、大声で怒鳴られて真珠は弾けたように飛び起き、立ち上がると、椅子は大きな音を立て、床に倒れた。  真珠はなにが起こったのか分からず、隣に立つ教師に視線を向けた。 「え……っと、琥珀?」  真珠の声に教室内がざわめく。  真珠は今、授業中だということをすっかり忘れ、幼なじみで臨時教師としてやってきている貝守(かいもり)琥珀(こはく)をじっと見つめた。 「香椎、おまえ今、なんの時間か分かっているのか? 居眠りのあげくに呼び捨てか」  琥珀は頬をひくつかせ、チョークのついた大きな手で真珠の頭をつかむと、指先に力を入れて髪の毛をかき回した。  きっちりと三つ編みを結んでいる真珠の髪はそのせいでぐちゃぐちゃになり、髪が逆立っている。  真珠は髪の毛を押さえながら眉間にしわを寄せて、琥珀を恨めしそうな表情で見た。  せっかく今日は綺麗に出来ていたのに。  それを見て、真珠が反省していないことに気がついた琥珀は怒鳴りつけた。 「香椎真珠、罰として廊下に立っていろ!」
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