蜃気楼の愛

Ⅰ

アドーンの街のサンセット通りはいつもの様に人々が行き交い、カフェの前を足早に通り過ぎてゆく。

街の中で囁かれる噂話。
一度は耳にしたことのある様な舌触りの良い名前が耳を捉え、そして雑踏の中に消えてゆく。

特に興味の湧かぬ新聞に目を遣ること数分、三面の記事に視線を走らせ、軽く鼻を鳴らしてテーブルの隅に追いやった。

「サフィールアレーン」

何度か呟いてみた後、軽く眉間に皺を寄せた。

何かを思い出そうと試みるも、記憶がスルリとすり抜けていく。

もどかしい焦燥感を感じながら、空になったカップの絵柄に視線を集中して心を落ち着かせる。

何の変哲もない一日の始まり、そして休息の時。

馴染み深いバカンスの街。

いつものように晴れ渡る空、どこまでも続く白い屋根の延長線上に浮かぶ雲、果てしなく広がる紺碧の海に白帆が凪いでいる。

白壁には鮮やかな南国の花々が、そしてカフェの軒先にも生命力に溢れんばかりの美しさで咲き乱れている。

初めて訪れたのはいつだったのか。

浮かんでは消えるとりとめもない事を霧がかった冴えない頭で思い巡らすが、一向に気は晴れなかった。

そして、微かな違和感を感じ、私はその場を後にした。