プロローグ「黒い誘惑」

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部屋の玄関に、独り。外には、一人。 「おーい、中にいるんだろぉ?」 いかにも危険な雰囲気が混ざったその声をドア越しに聞き入れながら、俺は今焦っている。 (くそっ、また来やがった……!) この声はほぼ毎日耳に入る。だから、声の主が次に発する言葉もおおよそ把握できている。 「いつになったら返してくれんだぁ? 金!」 その習慣化された言葉を発しながら、男は外から強くドアを叩く。 もうこの絡みはうんざりしていた。 しかし、それは全て俺が抱えている借金のせいだ。 ――二年前、親父が病で亡くなった。 タバコに酒、ギャンブルに埋もれた生活をしていたのだから、そうなるのも仕方がない。 誰が見ても、ろくでもない人間だった。 しかし、親父が死んだだけでは納まらなかった。 何らかのギャンブルで借金をしていたのだ。しかもその額はそこらの借金とは比べものにならないものだ。 およそ二億。 母はもっと前に亡くなっている。 つまり、息子である俺に『二億』という気が遠くなるような大岩がのしかかってしまったのだ。 ――そして、今の状況である。 「まだ……返せないです……」 恐る恐る外に待機している借金取りに言葉を返す。 その直後、今まで以上に大きな衝撃を年季で弱々しくなったドアが受けた。きっと蹴での八つ当たりだろう。 「いい加減にしろよテメェ!! 何回同じセリフ聞きゃいいんだ!? まだ1円も返してねぇじゃねぇか!」 「すみません! ……でも、今はまだ……」 また八つ当たりがくる。そう覚悟した。 「…………」 しかし、八つ当たりも返事も来ない。まさかの展開に動揺した。 「……あの~」 「次は無いと思え」 その一言で気味が悪いほどの寒気が全身を襲う。 もう外からは何も聞こえなくなった。どうやら引き返したようだ。 (次は……無い……) どんな八つ当たりよりも危険な一言を残され、鳥肌が納まらずにいる。
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