当日

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……昔昔のお話です――。 「なにそのホラーチックな語り…。それにアユセンセー、そんな大昔の話じゃないだろ?」 ちょっ雰囲気よ!雰囲気! えと……コホン、 相関学園が建つ前、ここが小学校のとき、ここは拿獲と言う名前の小学校でした。 そこに教員になって数年の、先生が拿獲小学校へ赴任に来たのです。 その先生はとても一生懸命で、生徒間との信頼も熱く、何よりも素直で優しい先生だったそうです。 先生は、どんな生徒だろうと、分け隔てなく愛していました。それこそ、先生と生徒としてではなく、親友として、家族として、小学校の誰よりも子供達を愛していました。 また子供達も、そんな先生が大好きでした。 「良い先生がいるもんだね」 「あ、私たち、アユ先生のこと、大好きだから!」 ……クスクス、ありがと。 (この続き……みんなの反応が怖いわ) そんなある日、その先生と初めてお話しした女の子が、行方不明になったと、学校に連絡が届きました。 女の子のご両親に何度伺っても、声を震わせながら「知らない」「返して」と仰っていたそうです。 そしてその日を境に、児童が一人、また一人と行方が分からなくなる子供達が後を絶ちませんでした。 それも、その先生と親しかった児童から順々に。 子ども達が行方不明なり、酷くショックを受けた保険医の先生の事を心配し、その子の担任が様子を伺いにきたところ、ロープが軋む音と、微かな悲鳴なような息が詰まったような声を聞いたらしいの。 担任が息を呑んで覗き込んだ光景――それは 保険医の先生の体は、ロープから吊り下げられ、宙に浮いていた。 宙吊りになった先生の足元に、行方不明になった児童達が常に身に付けていた小物が散らばっており、それら全てに、赤いシミが付いていた、と。 そして机に残された先生の物であろう遺書には、こう綴られてあった。 「ダレニもワタサナイ。     ワタシダケがアイシテヤレル」 ってね。 児童誘拐殺人事件。 この事件が、拿獲小学校の廃校の理由よ。  
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