激しさをこの胸に抱いて

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毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。 同じことの繰り返しである。 朝五時半起床。お弁当作り。彼氏を起こす。ご飯を食べさせる。洗い物。彼氏は仕事へ。それから私は歯磨き洗顔。体重測定、記入。洗濯。布団の片付け。朝食作り。朝食。洗濯干し。洗い物。一服。ジム。昼食。一服。仕事。買い物。洗濯物を取り込む、畳む。夕食作り。洗い物。夕食。一服。風呂──。 ざっとこんな感じで1日が終わるのだ。 実家では、母親と確執があるからよく揉めていた。 何度も何度も数えきれないほど、祖父母に宥められ慰められ抑えられ止められ、家を出るのを我慢していた。 時に半狂乱になったりもしたし、精神疾患にかかったりもしたのだ。 母親は私が小さい頃はネグレクトだった。 関心がないのか、それとも自分一人ではどう育てたらいいのか分からないのか、私は祖父母に育てられた記憶ばかりが鮮明である。 母親は私が物心つく前に実の父親と離婚した。 それから何人か男を作る。 トラウマにさえなったのは小学二年か一年の頃、母親と男のセックスシーンを見てしまったことだろうか。 気持ち悪かった。 ただ単に気持ち悪かった。母親は母親でなくてただの女だった。 嫌悪した。ただの女は私を産んだが母親になりきれてなかった。産んだだけの女だった。だが私に取っては産みの母親で母親以外の何者でもなくて、近所の高校生のお姉さんやよく行く美容室の綺麗な独身の美容師でもなくて母親なのだ。それが女だったことに嫌悪した。 それから間もなく一人の男と再婚し、私もその男の家で棲むことになった。 嫌気が差した。 そこでは母親はその男の息子と私にいい母親であろうとした。模範的な母親であろうとしたのだ。それが滑稽過ぎて笑えた。 朝起きたらキッチンで朝食を作る母親の後ろ姿が凄く物珍しかった。洗濯をし、畳む様。風呂や家の掃除をする様が新鮮で、何か劇でも見ているようだった。
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