ゴーストライター

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 カヤは言う。 「お帰りなさい」  僕は言う。 「ただいま」  家に帰れば、カヤが居る。それが僕の日常の普遍だった。手を伸ばせばカヤに触れられる。それが僕たちの不変だった。  ……いや、きっと、不変だと信じていたんだ。  実際そんなことはない。僕らがその瞬間何を信じようとも、ちっぽけなそれは年を経れば必ず可変する。気持ちだって弱まったり、強まったりもするだろう。  そして、そこにはただそうなっているという事実しかない。それだけが唯一絶対の不変だった。それを僕は知っている。知ってしまった。  それなのに、事実しかない事を知っているのに、それでも僕は追想に揺れて不変を求めていた。そう、矛盾している。  彼女は死んだ。僕は、その事実を未だ受け入れられていない。今も何処かに居るんじゃないかと、そう、信じ続けている。    〆  電車が一際大きく揺れて、僕が夢想から連れ戻されたのは、既に正午を過ぎた頃だった。  田舎を走る車両は、陽の光に熱せられてにわかに歪んだ線路の上で揺れていた。僕も揺れる。運ばれていく。  上京して二年半、久方ぶりの帰省になる。窓の外の風景は以前とあまり変わらず、ひたすら緑を大地に敷き詰めていた。  窓を閉めているのに、土と草の青臭い据えたにおいを微かに感じられるほどだ。 「…………懐かしいな」  窓の外を見ると、久々に見る景色が僕を迎えた。夏も盛なこの時期、青々とした森や光を撒いたように煌めく川を見ると、少年だった折、虫取りに勤しんだ自分を思い出す。しかし、 「あれ。誰だろう、あの人」  見慣れない人影が川の畔に在った。素足を流水に委ね、麦藁の帽子を被り、白い服の背に長い黒髪を滑らせている……。  何処かに、見覚えが有った。目を凝らせば、それはかつての光景に酷似していた。電車が川を過ぎ去る僅かの間が、限りなく拡張される錯覚。 「あ…………」  引き延ばされた時間の中、彼女はゆっくりと振り向き──僕と、目が合った。  その一瞬時間が止まる。現実と夢の狭間で、僕は彼女と逢った。遥か記憶のかなたで、今では決して叶わぬこなたにあった、彼女のまぼろしと。  重なっていく。瞬きの間に焼き付いたいまの映像と、遠い昔に記録した過去のフィルム。  そう。僕は確かにこの夏、彼女の幽霊と、此処に在った。
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