1 腕に触れて

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澤田洋介が営業課の部屋に入ると、珍しく今朝はまだ誰も来ていなかった。 手に持っていたスーツの上着を自分のデスクの椅子の背もたれに掛けるとそのまま窓辺へと歩いて行く。 窓を少し開けると、思ったより強い風がザァっと吹き込んで 彼の少し短めのストレートの髪を乱した。 書類を飛ばしては困ると急いで窓を閉める。 視線を会社の向かい側にある公園に移すと、秋になるとはいえまだ深い緑の木々が大きく揺れていた。 「…変わってないな…」 エレベーターの故障にはさすがに驚いたが、それよりも澤田は思いがけず久しぶりに会話を交わした永山雪乃のことを思い返した。 澤田が入社3年目の春、新入社員の永山雪乃が総務課に配属された。 素直なしっかりした子で、指導係の社員も教えやすいと言っていたのを覚えている。 たまに澤田が分からない事を教えてあげると、女の子にしては少し低い声で「ありがとうございます」とお辞儀をしていた。 その秋に営業に異動した澤田は外回りが増え それからはたまに顔を合わせた時に挨拶を交わす程度だった。 「…前より髪が長いかな?…」 階段を上るたびに淡いピンクのシャツブラウスの肩に柔らかそうな髪が揺れていた。 エレベーターで永山雪乃に掴まれた腕にそっと触れた澤田の表情が和む。 その時後ろの方から話し声が聞こえてが先輩社員が部屋に入ってきた。 「おはよう。お、澤田、相変わらず早いな。」 「おはようございます」 振り向いた澤田はいつもの仕事の顔に戻っていた。 ・
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