伝える喜び

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「伝える喜び」 今でも時々思い出す人がいる。大切なパズルのピースを渡してくれた老紳士のこと。 あれは、当時、3歳の自閉症の息子と、療育施設の通園のために、路線バスを利用していた吹雪の日。 1人の年配の紳士が息子に話しかけた。 「ボク、小さいのに偉いなぁ?飴要るかい?」 息子は重度の精神、知的、言語障がいがあり、会話はおろか他者に意識を向けることが難しく、状況を見て私は説明した。 「スミマセン、言葉も話さないし、偏食で飴の類は食べ物と思ってないみたいで、人と関わることが難しいみたいなんです、スミマセン‥」 紳士は、「それはスミマセン‥」と、申し訳無い顔で俯き、頬に涙が伝うのを、私は見た。 『え‥!?な、なんで泣いているの‥?』私は単純に驚いて、胸中で目を丸くして思考した。 紳士が帽子のつばで表情を隠したのが見受けられたので。 『何か、切ない記憶が蘇ったのかな‥。息子の事情を説明する前に、有り難うございますって、飴を受け取るべきだったかな‥』 ひたすら、気まずい心境を引きずった。バスに乗車し、いつもの生活に追われ、時は流れた‥ 4年後の夏、養護学校小学部一年生になった息子と、公園で遊んでいたある日、公園近くのバス停のバスをふと見た時、私は、記憶の中の紳士の涙を思い出した。 そう言えば、あの時の人、あれからバス停でも会わないな‥ 息子は数年で、めまぐるしい成長をみせ、発語を開花させ、好きな単語を口走るようになった、人を意識したり、オウム返しをするようになり、成長を楽しめるゆとりが私にできていた。 言葉の覚え方も、独特なので、必ず同じ場面で同じ単語を口走る。 そこを利用し、社交的な単語を覚えさせる工夫をしていた。 公園遊びの休憩も、いつも決まって座る同じベンチ、座るとすぐ出る「お茶」と、お決まりの単語そして、お茶を息子に渡すとき、私が決まって、代弁する「どうも有り難う」 息子は、お茶を受けとりながら「どうも、ありやとう」と、おうむ返しをする。 「ははは、どうも、あ、り、が、と、う、だよ?」 「どうも、あ、り、や、と、う、」 私は苦笑いを浮かべ、紳士を思い出した。 今ならきっと、飴をもらったら、「ありやとう」って、言えるね‥ あの紳士にもう一度会えるなら、「有り難う」を伝える、大切な言葉のパズルをもらった事に、有り難うって、伝えたい。 育てる大切さを教えてもらった喜びを、心から伝えたい。
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