一章

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 ともあれ、どうやら彼女は『アリス』という呼称に異様なまでの執着があるようで、それを蔑ろにした彼に憤っただけであり、この行為が『住人』のことに関してのものではないということは解った。無論、彼女が言っていることが本当なのであればの話だが。 「それでは……アリスはどうして『こんな人間かぶれの糞野朗共』とこんな所に集まっているんですか?」 「君も良い性格をしているね」  アリスの発言の真贋を確かめるためにしたことだったのだが、どうやら彼女には思いの外受けたようだった。  おかしそうに笑って、カウンターに上半身を寝そべらせる。長い髪が無造作に散らばり、彼女の独特な雰囲気と相まって蟲惑的な艶やかさを漂わせていた。 「しかし、そうだね。何故かと問われたことは何度もあったけれど、明確な答えを返せたことは一度もない。ただ一つ言わせてもらえば、私たちは必要だから互いを求め合って偶然か必然か此処に集まったのであり、そしてそれは酷く滑稽で、とても面白い。だから私は此処に来ているのかもしれないね」  その言葉に偽りはないように感じた。そして、きっとそれが全てなのだろうとも思った。 「そしてそれはつまり、君にとっても必要だったと言うわけだ」 「何故です?」 「君も此処に集まった一人だからだよ」  成る程、と変に納得できている自分がいることに彼は気が付いた。  彼女の言い分に沿うのであれば、その言葉は正しいのだろう。それが自分に当て嵌まるとは、どうしても思えないし思いたくもないが。 「しかしまあ、今日はもう遅い。空模様もあまりよろしくない。また後日会おう、と確信を持って言わせてもらうよ。その時には皆のことも紹介するので、自己紹介の文句でも考えておいてくれたまえ」  言って、アリスは最後にもう一杯紅茶を勧め、そして諸手は奇妙で不気味な『喫茶店』を後にした。  外は酷く冷えていた。絵の具に塗り潰されたように暗い空には厚い雲が敷き詰められていて、今に雪でも降り出しそうだ。  街行く数少ない人々も一様に身を固くし、温かそうな服で身を包んでいる。  ――近くにある店先に掛かった時計の針は、後数分で翌日に移り変わろうとしていた。
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