一章

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*      *      *  アリスと名乗ったあの不気味で可憐な少女はきっと、未来を知る術でも持っているのだろう。  諸手は、いつか訪れた『喫茶店』の前に立って冗談半分にそんなことを思った。  所々罅割れた壁、ゴミと埃と醜悪な空気の漂う、性根が崩壊した彼女たちの溜まり場。そしてその彼女の言葉を借りるのならば『人間かぶれの糞野朗共』の掃き溜め。  ……なんでまた来てしまったんだろう。  体の中の空気を全て吐露するような、大きな溜息を吐き出した。それには呆れも諦観も孕まれていない、ただ重たい吐息が冷たい夜風に流される。  ギィ……、古めかしい音を立て、僅かに扉が開かれた。そこから顔を覗かせたのはアリスではなく、店内を縦横無尽に掃除し尽くしていた女性だった。 「……こんばんは」  諸手が頭を下げそう言うと、その女性は言葉を発するでも微笑むでもなく丁寧に頭を下げ、そして扉を大きく開かせた。そのおかげで、女性が如何におかしな格好をしていたのかが見て取れた。  病人のように青白い右手には先の広がった箒を持ち、腰には使い古された叩きを挿し込み、背中には湿り気のある、つい先程まで使っていたのであろうことを察して取れる大きなモップを抱えていた。よくよく見れば左手にはぼろぼろの雑巾まで持っているのだから、その異常性は否応無しに理解させられる。  前回訪れた時はあまり注視していなかったし、したくもなかったので気付けなかったが、この調子では他の『住人』も相応の格好をしているのだろうか。果てしなく先が思いやられた。 「どうぞ、お入り下さい。その際に埃を持ち込まないよう、細心の注意を持っていただければありがたいです」  そうして通された店内に入るなり、彼は思わず目を細めた。
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