258人が本棚に入れています
本棚に追加
黒沢の目の前の男は、作った笑顔を崩さないように気をつけながら、小さく口を開けた。
「久しぶり、黒沢。元気にしてたか?」
問われた黒沢は、何の意味もなく鼻の頭をかき、呻くように呟く。
「まぁ……、ぼちぼち」
「本当にゴメンな、色々と忙しいのに」
「別にいいよ。で、話ってのは?」
男は、その問いを避けるように黒沢から目線を外し、首の向きだけ変えると、ガラス張りの窓に目をやった。「今日は天気が悪いな。今にも雨が降りそうだ」と、他愛のない話を続けようとする。
そこで黒沢は、視線をフッと床に落とした。正直言って、そんな話はどうでも良かった。俺は天気の話をするために、こんな所に来たんじゃないとツッコミたくなる衝動を抑え込み、タイルが張られた床をじっと見据える。
男はダラダラと身のない話を続けていたが、数分もすると、もう会話する話題が無くなり、小さく縮こまっている。
それを見計らっていた黒沢は、下げていた視線を戻し、話を本題に移すために口火を切った。多少語気を強めて、「そんなことより!」と言い放ったため、上擦るように聞こえたかも知れない。
「……急にどうしたんだ。電話では、詳しく聞けなかったけど……」
男は椅子に腰を落とすと、こちらに向かって手の平を上げ下げする。座れというサインだろう。黒沢は、それに無言で応えた。伏し目がちにテーブルを見据え、自分も椅子に腰掛ける。
それを確認した彼は、刻々と語り出す。弱々しくも力無くも、だが一生懸命に。
彼の瞳は変わらず、鮮明な真っ赤に染まっていた――。
最初のコメントを投稿しよう!