第二章 一線

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 黒沢の目の前の男は、作った笑顔を崩さないように気をつけながら、小さく口を開けた。 「久しぶり、黒沢。元気にしてたか?」  問われた黒沢は、何の意味もなく鼻の頭をかき、呻くように呟く。 「まぁ……、ぼちぼち」 「本当にゴメンな、色々と忙しいのに」 「別にいいよ。で、話ってのは?」  男は、その問いを避けるように黒沢から目線を外し、首の向きだけ変えると、ガラス張りの窓に目をやった。「今日は天気が悪いな。今にも雨が降りそうだ」と、他愛のない話を続けようとする。  そこで黒沢は、視線をフッと床に落とした。正直言って、そんな話はどうでも良かった。俺は天気の話をするために、こんな所に来たんじゃないとツッコミたくなる衝動を抑え込み、タイルが張られた床をじっと見据える。  男はダラダラと身のない話を続けていたが、数分もすると、もう会話する話題が無くなり、小さく縮こまっている。  それを見計らっていた黒沢は、下げていた視線を戻し、話を本題に移すために口火を切った。多少語気を強めて、「そんなことより!」と言い放ったため、上擦るように聞こえたかも知れない。 「……急にどうしたんだ。電話では、詳しく聞けなかったけど……」  男は椅子に腰を落とすと、こちらに向かって手の平を上げ下げする。座れというサインだろう。黒沢は、それに無言で応えた。伏し目がちにテーブルを見据え、自分も椅子に腰掛ける。  それを確認した彼は、刻々と語り出す。弱々しくも力無くも、だが一生懸命に。  彼の瞳は変わらず、鮮明な真っ赤に染まっていた――。
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