第二章 一線

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 話は三週間前に遡る。黒沢の高校時代のクラスメイト、草壁紀夫(くさかべ・のりお)には小学三年生の妹がいた。よく笑い、よく泣き、よく怒る、とても感情表現が豊かな、かわいい妹だった。  その日も相変わらずの寒い朝で、自宅の窓には結露が出来ていた。ニュースでは午後に雪が降るという報道までされていた。事実、窓から外を眺める紀夫の目の先には、今にも雪が降りそうな暗雲が立ち込めている。 「泉、今日は傘持っていけよ。雪降るかも知れないから」  草壁紀夫の前に座る泉は、目の前にあるトーストにかぶりつきながら、モゴモゴと答える。 「うん! 昨日買ったピンクの傘持ってくんだ。キミちゃんと、おんなじやつ」 「キミちゃん? ああ、木戸さん家の」 「そうそう。今日雪降ったら、一緒に遊ぶんだ」  紀夫は泉に微笑みかけながら、優しくポンポンと頭を叩く。 「って、もう七時だよ。そろそろ出ないと」  そう言われた泉は、テレビに映る時間を確認した後、慌てて咀嚼したパンを飲み込み、「行ってきまぁす」と玄関から元気よく飛び出した。  急にしんと静かになったリビングに、一人残された紀夫は、暫くほうけたように椅子に腰掛けていた。が、そこまでゆっくりしていられない事を悟ると、食べかけの目玉焼きが乗った食器を流し台まで運んで行った。その手は、十代から二十代の、特に男性には出来にくい、ひび割れが出来ていた。  これには理由がある。彼の家庭環境では致し方ないことだった。
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