第二章 一線

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 あの〈INI〉の中に潜入――まあそれほど大それた事ではないが――することができるのだ。興奮しない方がおかしい。彼はそう考えていた。  金田さんは、何か得体の知れないものに怯えている様子だったが、正直、ピンと来ない自分がいた。誰かの視線を感じると言っていたが、それの何が嫌なのか、陰口を叩かれたわけでも、暴力を振るわれたわけでもなく、ただ見られているだけなのに、何をそんなに怯える必要があるのか。  まあそれも、行ってみれば分かることだ。それより今、彼が一番心配していることは……。 「昼ご飯どうするかな?」  非日常とは掛け離れた昼食の心配。だがそれも無理は無い。イメージが容易に出来ないのだ。インスペクションという職業は、他人を監視、調査することが仕事で、それが分かっていたとしても実際に自分が、あるいは家族の誰かが、親戚が、友人が、仕事仲間が、挙げればキリがない、そういった社会に住まう自分に関係のある人々が、インスペクションと対峙したことがなく、また、そういう噂話さえ聞いたことがない。  だからかも知れないが、紀夫がインスペクションに対して持っているイメージは〈幽霊〉と同じだった。いるのかいないのか分からない非現実的な存在。それ以外の何ものでも無かったのだ。
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