第二章 一線

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 ――5――   時刻は午後三時を指している。昼を過ぎ、朝に比べれば寒さが幾分か和らいでいる気もしたが、バイクに乗っている走行中は、自分の体温を感じることが出来ない程冷え切っていた。それでも着実に郵便を終えていき、とうとう本日最後の郵便物。〈INI〉への宅配まで行き着いた。  紀夫の目には既に見えている。東京タワーよりも少し低いが、それでも一際目立つあのビルが……。  動悸に似た興奮が紀夫を襲う。バイクのハンドルを一際強く握ると、手の平には先程感じられなかった汗が滲み出ていた。もう引き返すことは出来ない。紀夫は、自分の胸裏と呼応するように、強くアクセルを踏んだ。  商店街を抜け、住宅街を抜け、無数に散在するビルを抜け、その途中でふいに、金田の言っていた言葉を思い出す。〈誰かに見られているような錯覚〉。〈薄気味悪い空間〉。そして、〈得体の知れない何か〉。  バイクは赤信号で止まった。紀夫は、金田が言っていた言葉を確認するように辺りを見回した。  営業回りのサラリーマン。スーツはよれよれで、足元は覚束ない(おぼつかない)。下を俯きながら、前を歩く他人とぶつからないように歩を進めている。
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