水道、電気を使えない生活

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地震が来た初日のご飯。 晩御飯だったが、飯ごうみたいに鍋で炊いてみたが、水っぽくて食べられたもんじゃなかったけど、食べないと生きていけなかったから食べた。おこげが旨かった。 その夜、通れる道路を探そうと、夜9時に家を出た。ガソリンを入れたばかりだったから、暫くは大丈夫だろうと考えていた。 今まで、町のメイン道路は少なかったが、その内の一本だけが無事で他は津波の被害により、通れなかった。もちろん、会社に行く道路も車じゃ行けなかった。 一通り、道が分かったから家に帰った。帰り道は真っ暗で、今までが明るかったせいか、異様に感じた。 2日目、食料をどうするか話あった。 俺と父親は、開いてる店を探しだし、買いに行こうと言った。が、母親はまだあるから大丈夫と言い出した。だがこの状態だ。いつ店の在庫がなくなるか分からないし、店に入荷するかも分からない中で、食料がなくなってから買いにいったんでは遅いと言い聞かし、2日目はまず店を探した。開いてる店はあったが、朝7時の時点で既に長蛇の列だった。とりあえず煙草だけを買い、帰宅し、報告した。 ガソリンも不安だったから、職場に顔を出したがいつ販売を始めるか、分からない。と、答えが返ってきた。 そして、今現在、現金がどのくらいあるかを確認した。 10万はないが、まぁ暫くは耐えれるだろうといった額はあった。 その日は夜7時には寝た。 夕方5時には真っ暗ですからね。 3日目、朝5時に起きて、ご飯を食べ、先日開いていた店に向かった。6時には着いたが、既に長蛇の列だったが、帰ってしまっては意味がないので並んだ。暫く待ってたら、その日に販売される商品を紹介したチラシが回ってきた。 買うものを決め、並んでいたら急に電話が鳴り出した。 気付いたら、そのエリアは電波が復活したらしく、友達から電話が来た。 友達の家は、海沿いからかなり離れていたが、やはり地震でかなりの被害があったと話をされた。 そして、まだ父親が帰って来ないとも話を聞いた。 友達の父親は、仙台新港と言う、港の近くで仕事をしていた為、凄く心配をした… 一先ずお互い、現状を話して、電話を切った。 8時になり、店が開店し、俺達が買い終わったのが既に午前10時を過ぎていた。
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