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声と一緒に涙も零れた。
滅多に人前で泣いたりしないのに。
――この香りと、マスターのせいだ。
だって、こんなに心地いい。
「……何か、辛いことがあったんですか?」
その声が優しかったせいか、無意識にするりと口から出ていた。
「……あたし、この春就職して、こっちに越してきたんです」
……何で初めて会った人にこんな話してんの、あたし。
そう思ったけど、後の祭り。
その後は、もう止まらなくて。
早く親元を離れたかったこと。
内定を貰って、一人暮らしできるって決まった時は、本当に嬉しかったこと。
アパートを借りて、仕事も始まって、これからは1人で生きていけるんだって、解放された気分になったこと。
……でも、思っていたことと現実は、違っていたこと。
自分の置かれた状況や、誰にも言ったことのなかった家庭の事情まで話し出していた。
――16の冬、あたしは母を亡くした。
高齢での出産で、しかも双子だったから。
一人っ子だったあたしは、年の離れた兄弟ができることが嬉しくて、出産を心待ちにしていた。
無事に妹たちが生まれて、満たされていた日々が、これからはもっと幸せな毎日になるんだと……そう、思っていたのに。
……母のいない家庭で、高校生のあたしと、毎日残業ばかりの父に、育児も家事も満足にこなせる訳もなく。
父が1人の女性を連れて来たのは、仕方がないことだったのだと思える。
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