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新月の夜。
星明かりの下、三国の国境に存在する遊廓は昼間のように賑わっていた。
朱塗りの茶屋に、朱塗りの灯籠、華やかなその色はこの遊廓の黒を見事に覆い隠す。
遊廓に数人しかいないと言われている太夫が一人所属している梅屋の一室で、その太夫が客の老人と酒を酌み交わしていた。
年若い花魁を見て、老人はついつい頬が緩む。
彼はこの花魁を昔から応援しているが、遊廓では当たり前の男女の関係をこの二人は持っていない。言うなれば父と娘、祖父と孫娘のような関係だ。
「椿太夫は相変わらず飲むな」
「あい。旦那様には昔からお世話になっておりんす。ともなれば、酒も進むというもの」
普段他の客に見せる艶〔あで〕やかな笑みではない、かつて見せていた無垢な笑みを向ける。
本当に美しく育ったものだと思う。彼女の姉女郎に紹介された頃の椿太夫は、木の枝のように細く、人を信用しない瞳をしていた。
今では信頼を置いてもらえるようになったのだ。
「今、妹女郎に客が来ておりんしてなぁ」
ぽろりとこぼした言葉には不安が混じっていた。
何しろこんな世界だ。情が深い椿太夫にとって今現在、一番不安らしい。
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