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「私には……見えない。見えるのはこの忌々しい髪と同じ、血の色だけだ」
絞り出した声にはいつもの覇気など微塵も感じられなかった。
戦場では一振りで何百の敵をなぎ払う男が今、唇を噛み締めながら小さく震えている。浮かべた表情には拒絶と喜びと、悔しさと憤りと、期待と不安がせめぎ合っていた。
「後悔があるの?」
「無い。この選択には確かな理念があった。意志も誇りもあった。それを悔やむほど私は愚かではない」
「なら何が貴方をそんなにも苦しめているの?」
妻の問いにアドルフは即答出来なかった。
「……恐怖だ。いつかアルバーニの意志が子供たちを、あるいは君を殺すかもしれない。私はそれが恐ろしい」
そう言いながらアドルフは腕の中で眠る赤ん坊にそっと触れた。頭を、額を、頬を撫でた手にはかすかな存在感しか感じられない。このまま力を込めれば呆気なく潰れてしまうか弱い命。
こんな小さな体にあまりにも重すぎる使命がのし掛かっている。それを強いたのは自分だ。その罪悪感がアドルフを責め立てた。
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