第三章 紀伊征伐

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新宮城攻撃と同じ時刻の橋本城周辺に織田信忠勢三万は、いた。 橋本城攻撃部隊。 大将の織田信忠が兵五千と副将、滝川一益は兵五千で本陣には兵士一万。 大手門攻撃隊には河尻秀隆二千。 二番備えは、池田恒興三千。 搦手 先備えは、本多平八郎忠勝が兵三千。 二番備えに榊原康政 二千。 搦手大将に徳川家康 五千。 総勢三万の軍勢であった。 一方、橋本城の守備隊長である。 鈴木重兼は、城兵を大手門には、家老の鈴木兼定とともに兵三千で何時でも迎撃出来るようにしてある。 搦手門には、侍大将で猛将の村上勝重が二千の兵で守る。 城からは、何時でも鉄砲・弓矢などを放つ準備が矢倉の上で行われていた。 「信忠様、そろそろ攻めませぬと」 滝川一益が進言をした。 「法螺貝を吹け!!」 側近に伝えた。 ブオ~、ブオ~。 法螺貝の音が橋本城周囲に響き渡る。 「全軍攻め掛かれ~!!」 信忠が軍配を高く上げ、大手門前に待機していた。 先陣の河尻隊二千。 二番備えの池田隊三千が大手門に殺到した。 搦手門攻略隊の先陣をきるのは、天下最強と謳われていた。 本多平八郎忠勝の兵三千である。 二番備えの榊原康政隊二千も後に続く。 その背後には、搦手門大将である。 徳川家康隊五千が待機している。 守備隊長の鈴木重兼の号令のもと、城方から反撃攻撃(鉄砲・弓など)で、応戦した。 織田勢からも、鉄砲・弓矢が放たれる。 遮蔽物が何もないので、織田勢に死傷者が相次いだ。 一方、時を同じくして、和歌山城を攻撃部隊を率いる。 織田信長本隊の精鋭部隊の六万は。 軍勢を二手に分けた。 最も抵抗の激しいと予想されている。 根来城攻撃隊長を織田信孝に任命し、信孝の兵八千と羽柴秀吉の一万で、総勢一万八千の軍勢ですぐに力攻めで落とし、織田本隊に合流する予定であった。 すぐに信孝勢は、根来城に向かった。 先備えに掘政秀三千。 二番備えに蒲生氏郷 二千。 本陣に織田信長の三万。 後備えに明智光秀 七千。 四万二千の軍勢で和歌山城を目指して和歌山平野を進軍した。 鈴木重秀(雑賀孫一)の精鋭部隊が近くに潜んでいる事は、信長は知らなかった。 和歌山城に増援部隊が向かっていることも、知るよしもなかった。
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