エピローグ3

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 性善説と性悪説は簡単に言えば、人間は生まれながらにして善であるか悪であるかということである。  孟子は人間の本性は全ての人に備わる善き道徳性であると言った。  対する荀子は人間の本性は悪であり善は後天的に作られると言った。  倫理の授業で教えられた時には佐々木は性善説を主張した。  理由は人間には罪悪感が備わっているから。  神がもし、人間に必要なものしか与えなかったとしたら、罪悪感を与えたのは人間を善なるものとして作ったからではないかと言った。  由利は人間は生まれながらいい人もいれば、悪い人もいて、人間をどっちかに区別することは出来ないと思ったし、実際にそう言った。  罪悪感を持ち合わせていない人もいるから、世の中で人の気持ちを踏みにじるような事件が起きているのではないかと言うと、佐々木はそんなのは人間として欠陥があるんだと切り捨てた。 「俺、今でも性善説を支持するよ。そう思いたいんだ。前はさ、罪悪感がない人は人間として欠陥があるって言ったけど、本当はそんな人はいないと思う。始めからないんじゃなくて、ただ忘れてるだけなんだ」  佐々木は哀しげな目をしていた。 「うん、そうかもね。でもそれがどうかしたの?」  言いたいことは何となく分かっていたがあえて訊いた。
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