鞭打ち人への道

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     古来から、鞭打ち人の世界に脈々と受け継がれる因習がある。それは、新任した鞭打ち人にはまず最初に自らの郷里を管轄させるというものである。この伝統が、今までどれだけの“別天地に憧れる新社会人”を失望させてきたことだろう。私も例外ではなかった。  私は四年ぶりに帝都ペテルブルグを後にし、二度と再訪すまいとあれだけ誓った南部の農村、アカウチ村に帰郷した。ペテルブルグから汽車と市電を乗り継いでキーマハンに至り、そこから馬車に乗り換えた。馬車は、舗装のことを考えだしたら気の遠くなるようなでこぼこ道を行き、馬は絶えざる水溜まりに濁足を取られ、車輪は、気負いすぎた水車のように泥水を跳ねあげていた。  一時間ほど走ったところで、馬車は小高い丘に差し掛かった。そこは子供時代によくユキと遊びにきた、名もなき丘だった。馬が急勾配を登り詰めと、そこで視界がぱっとひらけた。草むす丘の頂上からは、黄金色に輝く麦畑のカーペットが一望のもとに見渡せた。麦畑の他にも、もはや刈り入れ時を迎えた稲穂や、アカウチ村特産の背の高いトウモロコシ畑が渾然一体となって遥か地平線の彼方にまで広がっていた。その眺めは、まさに壮観の一語に尽きる。  都市部の灰色に毒された私の目には久しく映り込まなかった一面の田園風景を睥睨していたとき、植栽が織り成す金色の色彩と、麦とトウモロコシと稲と土の香りが混淆した独特の田舎臭が、あの苦々しい思い出の日々を私の脳裏に甦えらせた。あの場所を再訪するのかという憂鬱の中には、故郷に錦を飾る高揚感や、見知った顔に再会できる喜びなど僅かも混じっていなかった。久しぶりにユキに会えるという唯一の心踊る材料でさえ、それらに薄っすらとベールを掛けられてしまう始末だった。  私は田園風景から視線を外し、苦虫を噛み潰したような心持ちのまま、なんの気なしに馬車をあやつる前方の馬丁を見た。馬丁は鞍に打ちまたがり、実に小気味よく馬に鞭を入れていた。ピシッピシッという生々しい音が聞こえた。当然といえば当然の光景である。いま私が乗っているこの馬車を進めるにあたり、馬丁は馬に鞭を入れなければならない。当然の話である。しかしそんな当然の光景に、私の心は色めきたった。陶然となって、しばらくこの非常識な高揚感の自制を試みてはみたがダメだった。興奮は冷めやらない。
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