鞭打ち人への道

13/17
前へ
/17ページ
次へ
     母に伴われ、私は五年ぶりに生家の敷居を跨いだ。家具の配置が昔とちっとも変わっていないことには少々驚いた。変わったことといえば、もう父が居ないことだった。五年前にはまだ、あの不器用を絵に書いたような無口な背中を(一定の距離を置いて)拝むことができたものだ。  こけし職人だった父は、その武骨な手で、黙々とこけしに彫刻刀を入れていた。そしてことあるごとに「腹、減ってないか?」と私に尋ねてきた。それが父と私との間で交わされる唯一のコミュニケーションだった。そのたびに私は「減ってない」と答えた。「減ったよ減ったよ、お父さんお腹減った~」と答えていた無垢な少年時代には、父も「そうかそうか」と言って私の頭をなで、決まって塩風味のラーメンを作ってくれた。夢中で麺をすする私も、「お父さん、ラーメンおいしいね」と決まって屈託のない笑顔を振り撒いていたのだろう。しかし誰の身にも平等に訪れる思春期の到来とともに、いつしか私は「減ってない」と答えるようになっていた。父はそのたびに「そうか」と言って、寂し気な表情をしていた。口では「減ってない」と無表情に答えていた思春期の私ではあったが、それでもこの「腹、減ってないか」「減ってない」という一連のやりとりを、私は嫌いじゃなかった。 「お腹すいてない?」と母が聞くので頷くと、母は手早くお茶漬けのようなものこしらえて私の前に出した。そして母は、もったいつけるような所作で私の対面に腰を下ろすと、お茶漬けを胃に掻き込む無防備な私に対して、ここぞとばかりに取り留めのないおしゃべりを展開し始めた。そのおしゃべりは総じて「ちょっと聞いてよ」という前口上から始まり、そこから派生したほとんどの文脈は“様々な角度から見た隣近所の悪口”という大いなる流れに合流した。  田舎街ならではの身内ネタは軽快で、やや懐かしくさえ思えた。そして呆れるくらいテンポよく他人の欠点をあげつらう母の姿に、私は一抹の安堵感を覚えた。いま目の前に居るのは、相も変わらずおしゃべり好きの、矍鑠とした母の姿だった。父なき今もなお、母は少しも変わっていない。私は少しほっとした。そしてほっとすると同時に、自分が単身ペテルブルグに巣立ってしまってからの五年間、はたして母には、このようなおしゃべりを交わす相手が居たのだろうか。そう思うと情けないような、申し訳ない思いがした。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加