鞭打ち人への道

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     続く数時間のあいだ、私は続々と押し掛けてくる面会を求める者の対応で旅の疲れを癒す暇もなかった。西は涸川に架かるスルダン橋から、東は核開発に関与しているといういわく付きの煙突工場に至るまで、村民という村民の大半が我が家の門前に列をなした。  彼らは見えすいた友愛を示し、口々に歯の浮くようなセリフを並べ立て、それが終わると今度は取るに足らない無駄口を叩き、最後には決まって「後生だから鞭打たんでごせ~」と泣きついてきた。  しかしそんな異様な光景も、ほどなくあっさり沈静化を迎えた。彼らも学んだのか、通りいっぺんの情に訴えるという論法だけでは目の前の鞭打ち人を攻略すること叶わずと観念したのか、(“泣き落とし”という古典的かつ見え透いた手法など私は断じて取り合わない!という態度を、私が終始一貫して貫いていたのもあってか)、彼らは諦めるように退散した。  それでも、“魂の訴えが聞き入れられず、けんもほろろに追い返された憐れな村人たち”という芝居がかった後ろ姿をさも恩着せがましく私に見せつけながらの退散ではあったわけだが。  おおかた、彼らはその足で公民館にでも打ち集い、徒党を組むのが目的なのか酒を飲むのが目的なのかよく分からない決起集会でも(副村長あたりの発議で)開いたろうことは想像に難くない。  夜半過ぎ、私はドヤ街のほうへとパトロールに出てみた。新しく鞭打ち人になった私を前にして、酔っ払いや山師、それに素行不良を売りにするチンピラ連中たちが果たしてどのような態度を取ってくるものなのか、そこのところを早い段階で押さえておきたかったからだ。ちなみに私が本格的な意味でドヤ街へと足を運ぶのは、今回がはじめてのことだった。  こんな辺境の片田舎にある農村の飲み屋街など、言うまでもなく閑散として寂れ果てたものだろう、と高をくくって歩いてみると、意外や意外、洗練という言葉こそまるで似つかわしくないが、粗暴な活気というだけならドヤ街はそこそこな賑わいを見せていた。
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