鞭打ち人への道

8/17

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ
     するとすかさず、これまでずっと静観を決め込んできた残る最後の一人が座椅子の背もたれに寄りかかり、“自分はそのいずれにも該当しない人物”であるというような空気を、超然とした余裕の笑みでもって匂わせて見せた。  これには先行する二人もお手上げだった。この超然とした笑みには“もっとスケールの大きな成功を納めているかもしれない規格外の人物”という像を、見る者に想起させる働きがあったからだ。  二人が押し黙ってしまった為、場の主導権争いは暫定的な決着をみた。まったく、実にくだらないやりとりである。こういった連中は、自分が世間から有力な人物と目されていることのみならず、有力な人物たる自分が持ちあわせているところの有力な人物たるゆえんを、それとなく自慢したくてたまらない連中なのだ。つくづく憐れでならない。  さて、彼らはいずれも威厳ありげで成功者然とした壮年の紳士たちだったが、しかしここ最近になって株で大きく負けが込み、派手に財産をすったことによる落胆と自信の喪失は、言葉といわず挙動といわず、存在のいたるところから染み出していた。  我々は出会いを祝して乾杯し、手の込んだ味気ない懐石料理をつまんだ。彼らは宴が始まるなり、あらんかぎりの運と霊感を使い果たしてなんとか新総理に就任したまでは良かったものの、あとは万事がばっとしない大蔵省あがりのハゲ頭を引き合いに出しては“あいつはちっともなってない”などと断じたり、送りバントの多用が主に居酒屋でクダを巻く飲んべえ達のあいだで物議をかもしているエビ印インディアンズの新監督を槍玉に挙げたり。「人間の目に見えている九割が実は幻である」という失言が記憶に新しいテレビのコメンテーターを物笑いの種にしたり。ここ最近の風潮にケチをつけたり、サッカーの解説者なら誰もが言うことでおなじみの「良い時間帯に点をとりましたね」という「良い時間帯」とは、いったい何をもって「良い時間帯」なのかという問題について自分なりの意見を述べたりと、愚にもつかないよもやま話に花を咲かせた。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加