夏の夕立は、中々どうして厄介である

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 かなかなと、双子の一方の涙を誘う蜩の鳴き声は、しかし、現実問題――悲しさを伴う。  私は風情が好きである。  突拍子な物言いの私を、人は愚かだと罵るかもしれない。中には、そんな私に同情したのか知らないが、同調し手をさしのべる者も居ろう。やがてその空いた手を誰かが取り、また空いた手を誰かが取り、そうして大きな輪になれば、世界も平和になり、私も救われよう。そして愚かと罵る者に「ざまァみろ」と言えるのだ。  もう一度言おう。  私は風情が好きである。  金閣の、湖からの反射でさえ冬の長夜の一番星にも負けない、あの輝きや、盆の中に捕まえた秋の望月、どれも私の心を掴んで離さない。金閣を、修学旅行にて「時間がないから」と取消にされたのは内緒である。  しかし、どうしても、一つ、風情を受け入れられないものがある。  それこそまさに、蜩の鳴き声だ。最早泣き声と呼んで然るべきかもしれない。なぜ――なぜ、彼らはああも物悲しげに夕焼けの中唄うのか。  魚偏の周は赤飯に並ぶおめでた料理である。めでたいなどとユーモアのセンスも持ち合わせ、かの白身に多くの受験生が舌鼓をうってきたことだろう。さて、虫よ。お前は如何に。  お前は何に憂い悲しむ。昨今の日本の衰退か。モラルの欠如した蛮人の猛攻か。そしてそれに対抗する、自分が蛮族になったことに気付かないジョーカーか。  私ははっとする。  蜩は自分の限られた命を、上を伝えるために費やしているということに気付いてしまった。一方で浮かれ、一方で激高する我らを、木陰から見定め、悲しみを歌にして、静かに伝えるのだ。  成る程悲しいわけだ。彼らの鳴き声に本能的に揺さぶられるのだろう。自問自答し、しかし、自分の欠点しか見当たらなければ、それを誰が悦ぼう。ど級のMか、ちょっぴり人外くらいである。  ふむ、個人的に、中々どうして、美しく纏められた気がする。  人よ。蜩を聞いて喜べるくらいになれ。いや、どMになれってわけではなく。
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