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怒気に満ちた横顔を見て、空気に溶け込もうとした。
正座のまま後ずさりをし、榎本からの誘いを愛想笑いで誤魔化す。
「ずっと部屋にいては息が詰まるだろう。よければ今晩、気晴らしに飯でもどうだ?」
「断る」
「いや、そうじゃねぇ……結羽さんに言ったんだ。一緒に酒を飲んだくらいで罰は当たらんだろ」
「あぁ、俺は神でも仏でもねぇ。嫁いで僅か二年で夫に先立たれては奥様が気の毒ですよ」
冗談を交えた上司の気遣いに、土方は真顔で恐ろしいことを言った。
凍りついた私を差し置いて、榎本は天井に向けて笑い飛ばす。
「ははははっ! 飯に誘っただけで殺られちゃあ洒落になんねぇな」
「こいつは普段から何も食わねぇんだ。気持ちだけ頂いておきます」
嘘だからね……私死んじゃうよ?
目を丸くした榎本から、淡々と話す土方の背中を見つめる。
「その手の冗談は懲り懲りだ。見え透いた嘘や質の悪い悪戯に、これまでこっ酷くやられてきたんだ」
「ほう、命知らずの小僧もいたもんだ」
「命知らずなんてもんじゃねぇ、あの野郎は死んでもまた生き返る」
小僧じゃなくて立派な大人だよ。
沖田のことを考えていると、急に榎本から手拭いを渡された。
「もし土方くんに言い辛いことがあれば、遠慮なく俺に言っ……」
「ご心配には及びません」
「だそうだ」
「あっ、いえ……はい。ここに……土方さんの傍に置いて頂き、本当にありがとうございます」
榎本に向けて頭を下げた時、知らない男が部屋にやって来た。
そして面識のある土方にではなく、榎本は私に男を紹介した。
「甲賀くん、遅かったじゃないか。回天丸の艦長だ」
「申し訳ない。ちょうど荒井さんと……海軍奉行の荒井さんと話していました」
甲賀は場の空気を読み、私に向けてわかりやすく説明した。
回天丸の艦長である甲賀源吾は、今月の戦で死亡してしまう。
話に加えて貰えた嬉しさも束の間、甲賀から静かに目をそらした。
三月二十五日の宮古湾海戦。
話は聞かなくても経緯は知っている。
黙って耳を澄ませ、歴史通りであるかを確認していた。
「アボルダージュ。接舷して斬り込みをかけ、甲鉄艦を奪い取る作戦です」
「アボッ……アボッ、何だと?」
「フランス語で接舷攻撃のことだよ」
「うるせぇ、聞こえてる」
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